[第五十七話]研究不正

ガラマクムは神だったが、彼はまだ宇宙を創造するという仕事に着手していなかった。あるとき彼は、その仕事に着手しなければならない時が来たと考えた。

宇宙を創造するために、ガラマクムはまず、宇宙の物理法則を記述した数式を書いた。そして、その物理法則を持つ宇宙で生起するであろう現象について予測した。しかし、それらの現象は彼を満足させなかった。彼は数式を修正し、再び、生起するであろう現象について予測した。しかし、それらの現象もまた、彼を満足させることはできなかった。

ガラマクムは数式の修正と現象の予測を繰り返し、七十二回目にしてようやく、自身を満足させる数式に到達した。彼はその数式に息を吹きかけた。すると、その数式を物理法則とする宇宙が生まれた。

ガラマクムが書いた数式は極めて単純だったが、その数式から生まれた宇宙には極めて多様な物質が生成された。そしてそれらの物質は多様な天体の素材となった。惑星や衛星などの天体の表面では様々な化学反応が生起し、それによって物質の多様性は際限なく増大した。惑星や衛星などの天体のうちで極めて恵まれた条件を満足するものの表面においては、自己増殖の能力を持つ組織体、すなわち生物が発生した。生物は環境に適応するための能力を進化によって獲得し、その過程は生物の種の多様性を増大させた。

いくつかの天体においては、生物の進化が、極めて高い知能を駆使することによって環境に適応しようとする種を生み出した。ミゴサナという惑星も、高い知能を持つ生物の種を生み出した天体の一つである。その生物の種は、人間と呼ばれた。人間たちは共同体を運営し、その共同体のもとでの狩猟や耕作などによって食糧を確保した。彼らは共同体を構成する個体の間での意思の疎通を図るために、言語を発達させた。

人間たちは、自分たちの周囲で起きる自然現象は、人格を持つ非物体的な存在者の意思によって左右されることがあると考え、そのような存在者を神と呼んだ。彼らは、自然現象が自分たちに不利益を与えないことを神々に祈願するために、神々を祀る神殿を建てたり、神々に供物を捧げたりした。

人間たちが居住する地域は惑星ミゴサナの全域に分布していたが、彼らが話す言語や彼らが崇拝する神々は、地域ごとに異なっていた。同一の言語を話し、同一の神々を崇拝する人間たちの集団は、民族と呼ばれた。

人間たちはしばしば、病気の治療や天候の制御や害虫の駆除などを、魔女と呼ばれる者たちに依頼した。魔女とは、数千人に一人の割合で生まれてくる、局所的かつ一時的に物理法則を変更する能力を持つ人間の女性のことである。魔女が自身の能力を行使して何らかの現象を生起させる行為は、魔術と呼ばれた。

人間たちは様々な神々を崇拝していたが、ガラマクムを崇拝する者は皆無だった。彼は人間たちから崇拝される神々に嫉妬し、宇宙の創造者である自分を人間たちに崇拝させるために何らかの手段を講ずる必要があると考えた。彼はテセルスという人間を預言者として選び、その者に次のような預言を授けた。

「我の名はガラマクムである。我はこの宇宙を創造した神である。汝らが崇拝すべき神は我のみである。我を崇拝しない者には天罰が与えられるであろう」

テセルスがその預言を人々に語ると、人々はそれを信じ、天罰を恐れ、ガラマクムを崇拝した。人々は、宇宙を創造した神を崇拝する宗教をテセルス教と呼んだ。この宗教を信じる人々のうちの一部の者たちは、それまで従事していた仕事を捨て、預言を人々に伝えるための旅に出た。彼らの働きによって、テセルス教は惑星ミゴサナの人間たちの間で最も信者数の多い宗教となった。

テセルス教の信者たちは、教会と呼ばれる組織を作った。教会は、信者たちが集団でガラマクムに対する礼拝の儀式を挙行するために、礼拝堂と呼ばれる建物を惑星ミゴサナの各地に建設した。礼拝の儀式は、聖職者と呼ばれる人々の指導のもとに進められた。聖職者の組織には多数の階級があり、それらの階級の頂点に位置する職位は教皇と呼ばれた。

国民の大多数がテセルス教の信者であるような国々においては、国を統治する国王や皇帝もまたテセルス教の信者であり、彼らはテセルス教に対して自身の国の国教という地位を授けた。それらの国々においては、教会の権威はそれらの国々の統治者を通じてすべての国民に及んだ。また、それらの国々においては、テセルスが生まれた年を紀元とする、聖教暦と呼ばれる紀年法が採用された。

テセルス教を国教とする国々においても、数千人に一人の割合で魔女が生まれるということは、それ以外の国々と変わらなかった。教会は、聖教暦十二世紀までは魔女の活動を黙認していたが、一二一六年に教皇に就任したタムザムク三世は、就任の翌年、テセルス教を国教とする国々の統治者に対して、魔女の活動を禁止する法律を制定することを要請した。それらの国々の統治者たちはその要請に応えた。彼らが制定した法律は国ごとに様々であり、一部の国々の法律は、魔女の活動を禁止する条項のみならず、裁判において魔女であると認定された者は死刑に処す、という条項を含んでいた。しかし、魔術を操ることのできる魔女たちにとって、官憲の目を逃れることは極めて容易なことだった。魔女であると認定されて処刑される者たちは跡を絶たなかったが、彼女たちのうちで本物の魔女であった者は皆無だった。

テセルス教の教会の権威は聖教暦十三世紀に頂点に達したが、それ以降は徐々に衰退していった。魔女の活動を禁止する法律を制定していた国々は、十五世紀から十七世紀にかけて相次いでそれを廃止し、十八世紀には、その種の法律を制定している国は存在しなくなった。

人間たちが持つ学問のうちで、自然界における各種の法則性を探究するものは、自然科学と呼ばれた。この学問は、教会の権威の衰退とは対照的に、十五世紀以降、著しく発展していった。いまだに教会の権威が自然科学の権威を凌駕していた十七世紀の末期までは、自然科学に関する学説はしばしば教会から糾弾され、撤回を余儀無くされた。しかし、十八世紀以降は、いかなる学説の公表も教会からの圧力を受けることはなくなった。

自然科学の成果が常識となった時代の人々は、魔術は自然科学から逸脱するものであり、魔女の存在は迷信であると考えた。したがって、その時代の魔女たちは、魔術によって生計を立てることができず、一般の人々と同じ職業に就かざるを得なかった。

魔女たちのうちには、自然科学の研究という職業に就く者たちも存在した。彼女たちの多くは自身が魔女であることを自覚しており、実験において自身の魔女としての能力を行使することはなかった。しかし、自身が魔女であることを自覚していない魔女が自然科学の研究者になるという事例も、極めて少数ではあるが存在した。聖教暦一九八三年にツネブカという国に生まれたセロタミナは、そのような数少ない魔女の一人だった。

セロタミナは、自身が魔女であるという自覚を持たないまま、生物学の研究者となった。彼女は、生物の組織の再生について研究を続けているタムコサという研究者に師事し、自身も同じ問題について研究を進めた。聖教暦二〇一四年、彼女は自身の研究成果を報告する論文を執筆し、その論文は権威のある学術雑誌に掲載された。その論文は生物学者たちや医学者たちに衝撃を与えた。なぜなら、彼女の研究成果は生物学の常識から逸脱するものであり、もしもそれが事実であったならば、生物の寿命を限りなく延長させることさえも不可能ではなくなるからである。

生物学者たちはセロタミナが実施した実験の追試を試みた。しかし、誰一人として、彼女の論文に記載されているものと同じ結果を実験で再現させた者はいなかった。彼らの実験の結果は彼女の研究成果に疑問符を投げかけた。彼女の論文を掲載した学術雑誌の編集部は、彼女の論文は研究不正によって撤回されたと公表した。彼女は勤務していた研究所を辞職し、文筆業に転身した。

セロタミナによる研究不正の事件は、世俗的には解決済の問題となり、人々がそれを話題にする頻度は急速に低下していった。しかし、この事件は宗教的にはまだ始まったばかりだった。ツネブカに在住するテセルス教の聖職者たちは、教皇であるタバリコム四世から、セロタミナの動向を調査して定期的に報告せよという指令を受けていた。

セロタミナは、研究所を退職したのち、惑星ミゴサナの各地に住む魔女たちから構成される、魔女組合と呼ばれる組織からの書簡を受け取った。その書簡には、彼女が魔女として認定されたということ、魔女の歴史が始まって以来、不老不死の魔術を完成させた魔女はいないということ、そして魔女組合は不老不死に関する彼女の研究を全面的に支援することを望んでいるということが書かれていた。

セロタミナは、文筆業で生計を立てつつ、生物の寿命を延長させる魔術の研究を進めた。研究不正事件が起きるまで、自身が魔女であることを自覚していなかった彼女は、魔女たちが使う一般的な魔術には習熟していなかった。魔女組合は彼女の自宅に魔術の教師を派遣し、彼女に基礎的な魔術の訓練を施した。彼女は驚異的な速度で魔術を習得し、一年後には、魔女たちが継承してきた秘伝の魔道書を閲覧する資格を授与されるに至った。

不老不死の魔術について研究した歴史上の魔女たちは、自身の研究についての記録を残していた。魔道書の編纂者たちは、魔道書の中に不老不死についての章を立て、それについての記録をその章に収録した。セロタミナはその章を隅々まで熟読し、歴史上の魔女たちが不老不死の魔術をあと一歩のところまで完成させていたという事実を知った。そして、それを完成させるために必要となる最後の鍵がすでに自身の手中にあることに気づいた。

セロタミナの動向を調査していたテセルス教の聖職者たちは、セロタミナによる不老不死の魔術の完成は目前であるとタバリコム四世に報告した。生物を不老不死にする魔術は他の魔術とは比較にならないほどガラマクムの摂理に反していると考えていた教皇は、その魔術の完成を阻止するためにはいかなる手段も正当化されると判断した。教皇は、教会が保有する特殊部隊に対して、セロタミナを暗殺するという使命を与えた。

教会の特殊部隊がツネブカに潜入したという情報を得た魔女組合は、結界を張る魔術の第一人者であるトキレクタという魔女をセロタミナのもとに派遣した。トキレクタは、セロタミナを自身の結界によって保護するとともに、自身が究めた結界を張る魔術の奥義を彼女に伝授した。

ツネブカに潜入した教会の特殊部隊は就寝中のセロタミナを急襲した。しかし、いかなる銃弾も、いかなる刀剣も、トキレクタが張った結界を破って彼女に到達することはできなかった。翌朝、いつものように目覚めた彼女は、寝室に残された銃弾や薬莢を見て、襲撃者の来訪を知った。

セロタミナは、自分を暗殺しようとする試みは、いかなる人間によっても成功させることはできないだろうと考えた。しかし、自分を抹殺するためにガラマクム自身が来襲した場合に対する準備は、万全とは言えなかった。彼女は不老不死の魔術についての研究を中断し、神から身を守るための魔術についての研究を進めた。

ツネブカに派遣された教会の特殊部隊は、セロタミナの暗殺に失敗したことをタバリコム四世に報告した。教皇は、人間による彼女の抹殺は不可能であると考え、彼女をガラマクムの手に委ねる以外に方法はないと判断した。教皇は祭壇の前にぬかずき、不老不死の魔術を完成させようとしている一人の魔女に死を与えたまえと祈った。その祈りに対して神は「諾」と答えた。その声は教皇の耳に雷鳴として届いた。

ガラマクムは、自身が創造した宇宙の外部に存在する神である。しかし彼は、自身が創造した宇宙の内部で活動することも可能だった。彼はセロタミナが住んでいる町を見下ろす山の頂上に降臨し、彼女の邸宅を目指した。そして建物の壁を音もなく通り抜け、彼女が眠る寝室に至った。トキレクタが張った結界を破ることも、彼にとっては容易なことだった。セロタミナに死を与えるために、彼は彼女の首に手を伸ばした。そのとき彼は、目の前にいる者がセロタミナの実体ではないということに気づいた。

「お前は今どこにいる」とガラマクムが尋ねると、セロタミナの幻影は、「私はこの宇宙にはいません」と答えた。

ガラマクムによる抹殺の対象となった者は、彼が創造した宇宙の内部にいる限り、彼の襲撃から逃れることは不可能である。したがって、その宇宙とは別に、彼の侵入を拒絶する宇宙を創造することのみが、自身の生命を守るための唯一の方法だった。そこでセロタミナは、秘伝の魔道書を繙き、宇宙を創造する魔術について歴史上の魔女たちがどのような成果を得たかということを調べた。

宇宙を創造する魔術は、多くの魔女たちによって研究され、徐々にではあるが進歩を続けていた。しかし、彼女たちが創造した宇宙は極めて不安定であり、創造された数秒後には崩壊してしまうものばかりだった。また、創造された宇宙に対して意図したとおりの物理法則を与える方法についての研究は、まだ手付かずの状態だった。

セロタミナは、創造された宇宙を安定させる方法を求めて試行錯誤を重ねた。彼女が創造した宇宙が崩壊するまでの時間は、新たな実験のたびに加速度的に増大した。彼女はそれらの実験の結果から、理論的には無限の寿命を持つ宇宙を創造することを可能にする魔術を確立した。

次にセロタミナは、魔術によって創造された宇宙に対して意図したとおりの物理法則を与える方法についての研究に着手した。この研究においても、彼女は試行錯誤を重ね、自身が創造した宇宙に対してガラマクムが創造した宇宙と同じ物理法則を与えることに成功した。神は彼女が創造した宇宙への侵入を何度も試みたが、その試みによって彼が知り得たことは、彼女から許可を得ていない者はその宇宙に入ることができないということのみだった。

セロタミナは、自身が創造した宇宙の内部に、人間の居住に適した環境を持つ惑星を作り、彼女の恩師にちなんで、その惑星にタムコサという名前を与えた。そして、生物を不老不死にする魔術について研究する施設をその惑星の地表に設置した。彼女は数名の魔女の派遣を魔女組合に依頼した。派遣された魔女たちは、彼女の研究の助手を務めるとともに、食糧の生産にも従事した。惑星タムコサの魔女たちは自給自足の共同体を形成した。

聖教暦二〇三六年、魔女組合は、不老不死の魔術が完成したという報告をセロタミナから受け取った。組合はこの年を紀元とする永寿暦という新たな紀年法を制定した。そして組合は、組合に加盟しているすべての魔女に対して、惑星タムコサにおいて不老不死の魔術に関するセロタミナによる講義を受講することを義務付けた。さらに組合は、魔女ではない者も含むすべての人間に対して次のような声明を発表した。

「セロタミナという不世出の魔女は、生物を不老不死にする魔術を完成させました。私たちは、この魔術の恩恵はすべての人類が享受すべきものであると考えます。よって、いかなる人間であろうと、その者が不老不死を希望するならば、私たちはその者にこの魔術を施術するつもりです。ただし、この宇宙の創造者であるガラマクムは、生物を不老不死にすることは自身の摂理に反していると考えています。ですから、もしもこの宇宙の内部で不老不死の魔術を施術したならば、それを施した魔女も、それを施された者も、ともに無事ではいられないでしょう。ですが、ガラマクムによる処罰を受けることなく不老不死の魔術を施術することを可能にする抜け道があります。それは、セロタミナによって創造された宇宙にあるタムコサという惑星に移住して、そこで不老不死の魔術の施術を受けるという方法です。この方法を使えば、ガラマクムによって処罰されることはありません。ただし、施術を受けた者は、この宇宙に戻ることが永遠にできなくなります」

魔女組合は、不老不死の魔術の予約を受け付ける窓口を惑星ミゴサナの各地に開設した。その窓口には、不老不死を望む人々による長蛇の列ができた。組合は、予約を受け付けた順序にはこだわらず、重病人や高齢者など、緊急性の高い者たちに対して優先的に不老不死の魔術を施術した。

魔女組合が受け付ける不老不死の魔術の予約は、成年に達した者のみを対象としていた。しかし、施術を予約した者は、惑星タムコサへ移住する際に、未成年の子供を連れて行くことができた。組合は、タムコサで成年を迎えた子供たちのために、不老不死の魔術の予約を受け付ける窓口をタムコサの各地にも開設した。タムコサで成年に達した子供たちは、不老不死の魔術の施術を受けるか否かを自身の意思で決定し、受けるという意思を固めた者はそれらの窓口で施術を予約した。

教皇タバリコム四世は、テセルス教の信徒が不老不死の魔術の施術を受けた場合、それは棄教の意思表示であるとみなされる、という内容の回勅を公布した。しかし、テセルス教の信徒の半数を超える者たちは、棄教したとみなされることは覚悟の上で、不老不死の魔術の予約を申し込む窓口にできた列に加わった。それらの信徒たちのうちには、一般の信徒のみならず、聖職者も少なからず含まれていた。

永寿暦三一年、不老不死の魔術を予約したすべての人々に対する施術が完了した。魔女組合は、予約を受け付ける窓口を、一箇所のみを残してそれ以外はすべて閉鎖した。窓口を残した理由は、不老不死を希望しなかった者たちから生まれた子供たちが不老不死を希望する可能性を考慮したからである。

惑星タムコサに住む不老不死の人間たちは、子供を生むことも可能だった。不老不死の両親から生まれた子供たちは、生まれながらにして不老不死であるわけではなかった。彼らは、タムコサに移住したときに未成年だった者たちと同様に、成年に達したのち、魔女組合が設置した窓口に自身の意思で赴き、不老不死の魔術の施術を予約した。

セロタミナは、魔女たちに不老不死の魔術を伝授するという仕事から引退したのち、惑星タムコサから数十光年離れた位置に新たな惑星を創造した。そして、その惑星で一人暮らしをしながら、宇宙を創造する魔術についての研究を続けた。彼女が目指したことは、ガラマクムが創造した宇宙とは異なる物理法則のもとに、その宇宙とは異なる多様性を生み出す宇宙を創造することだった。

惑星タムコサの人口は増加の一途をたどり、永寿暦三八七年には百億人に到達した。魔女組合は、タムコサの環境を保全するために、その住民の半数を別の惑星へ移住させる計画を立てた。組合は、住民の移住先となる新たな惑星を創造し、その惑星にセロタミナという名前を与えた。