[第二十二話]古狸

ケモモクという古狸は、六千四百七十五歳のとき、人間に幻覚を見せる術を会得した。

ケモモクは会得した術を使って人間に悪戯をしてみようと考えた。そこで彼は、狸たちが棲む森から出て、トベリケラという人間の国へ行き、その国の都の城門をくぐった。そして、都の中央にある広場に立った。

「我が名はメゼム」とケモモクが声を広場に響かせると、広場にいた人間たちは一斉に彼に視線を向けた。彼らの視線の先に立っていたのは、古狸ではなく、若く美しい人間の男性だった。

「我は神なり。我に祈りを捧げよ。さらば汝らに天国での幸福が与えられん」とケモモクは語った。しかし人間たちは彼の言葉を信じなかった。「お前が神だと言うなら、その証拠を見せろ」と彼らは口々に叫んだ。

ケモモクの近くにいた商人の男は、売物の卵が入った籠をケモモクの前に置き、「お前が本当に神なら、この卵を今すぐ鶏にすることなど、できて当然だろうな」と言った。

ケモモクは、籠の中の卵が一斉に割れて雛鳥が姿を見せ、それらの雛鳥が瞬くうちに成長して鶏になる幻覚を人々に見せた。鶏たちは広場を駆け回り、人々は言葉を失った。

ケモモクは忽然と姿を消した。広場にいた人々は広場の上空から発せられた彼の声を聞いた。その声は、「神殿を建て、その名をメゼム神殿とし、我をそこに祀れ」と人々に命じた。

数日後には、トベリケラの国民のうちで神が起こした奇蹟の噂を聞かない者は誰一人としていなかった。トベリケラの国王も例外ではなかった。国王は、神殿を建設する資金を調達するために国民から寄付を募れと諸侯に命じた。

神殿を建設するため、トベリケラの人々は先を争って大枚をはたいた。設計は当代屈指の建築家に依頼された。建築家が設計した神殿は前代未聞の規模であり、竣工までに三百年の歳月を要した。

メゼム神殿の完成を見届けたのち、ケモモクは茫洋たる砂漠を渡り、トベリケラから東へ二千里離れたグネビキタという人間の国へ行き、その国の都の城門をくぐった。そして都の中央にある広場に立ち、次のように語った。「我が名はガネツ。我は神なり。我に祈りを捧げよ。さらば汝らに天国での幸福が与えられん」

広場にいた人々は、神であるという証拠を要求した。ケモモクは商人が持っていた魚を龍に変えた。龍は天空へ舞い上がり、すぐに見えなくなった。そしてケモモクの姿も忽然と消滅した。広場にいた人々は広場の上空から発せられた声が次のように命ずるのを聞いた。「神殿を建て、その名をガネツ神殿とし、我をそこに祀れ」

四百年後に竣工したガネツ神殿は、人間がそれ以前に建設したいかなる建築物よりも巨大だった。

ガネツ神殿の完成から三百年が過ぎた年、ケモモクはトベリケラの都の中央にある広場に立ち、次のように語った。「グネビキタの民が祈りを捧ぐるガネツなる者は人間をたぶらかす悪魔なり。ガネツ神殿を破壊し、グネビキタの民を改宗せしめよ」

トベリケラの国王は、グネビキタへ派遣する軍隊を編制するため、兵士を公募した。トベリケラの国民のうちで血気盛んな者たちは、先を争って兵士に志願した。軍隊はグネビキタのある東へ進軍した。

グネビキタの国王は、トベリケラの大軍が自国に迫りつつあるという報告を聞き、それを迎撃するための軍隊を編制するため、兵士を公募した。グネビキタの国民のうちでトベリケラに対する敵愾心を持つ者は少なくなかった。しかし、戦いに対する恐怖を克服し、兵士に志願する者はきわめて少数だった。

ケモモクはグネビキタの都の中央にある広場に立ち、次のように語った。「恐るるなかれ。トベリケラの民はメゼムなる悪魔にたぶらかされし者どもなり。我こそ真の神。我とともに戦い、メゼム神殿を破壊し、トベリケラの民を改宗せしめよ」

ケモモクの言葉はグネビキタの多数の国民の敵愾心に油を注いだ。彼らは先を争って兵士に志願した。軍隊は西へ向かって怒濤のごとく進軍し、砂漠の中央で敵軍に激突した。戦闘は熾烈をきわめ、砂漠は兵士たちの血で赤く染まった。

どちらの軍隊も砂漠での戦闘で勝利することはできなかった。トベリケラとグネビキタの双方の国王は、ともに自国軍が全滅したという報告を受け取った。両国はふたたび兵士を公募した。年齢にも性別にもかかわりなく、戦うことのできるすべての国民が兵士に志願した。両軍はふたたび砂漠の中央で激突した。

トベリケラとグネビキタの双方の国王が受け取った報告は、今回もまた自国軍の全滅だった。まだ戦うことのできる兵士として残されたのは、双方の国王のみだった。両者は駿馬を駆って敵国を目指した。

二人の国王は砂漠の中央で対峙した。彼らは槍を構え、馬を走らせた。彼らが激突しようとした寸前、「王たちよ」と呼びかける雷鳴のような大音声が砂漠に轟き、二頭の馬は驚いて立ち止まった。二人の国王が声の方向に見たものは、砂丘の頂上に立つ一柱の神だった。

ケモモクは二人の国王に語った。「我が名はメゼムにしてガネツ。汝らの神は同一なり。汝らを戦わせしは汝らの信仰心を試さんがためなり。汝らはよく戦い、汝らの信仰心を証明せり。我は汝らに命ず。武器を捨て、国へ還れ。こののちは、いかなる理由があろうとも戦ってはならぬ」

ケモモクは二人の国王の前から姿を消し、狸たちが棲む森へ帰った。そして狸の若者たちに幻術を伝授しながら余生を送った。享年は八千八百三十一歳と伝えられている。