[第三十九話]廃棄

ギメタジカという惑星に住む人類は様々な宗教を信仰していた。スミナム教という宗教もそのうちの一つだった。

スミナム教は、回帰暦二世紀にスミナムという人物によって創始された宗教である。彼は自らを神の子と称し、数々の奇蹟を人々に示した。そして彼の弟子となった者たちに教えを説いた。

スミナムはまず最初に、宇宙を創造した神々について次のように弟子たちに語った。「宇宙がまだ存在していなかったとき、タキムスという男神とタキマという女神が存在していた。タキムスはタキマに、宇宙を創造するために協力してほしいと依頼した。彼女はその依頼を承諾した。彼らはまず最初に広大な空間を創造した。次に彼らはその空間の中に無数の天体を創造した。そして次に彼らは様々な生物を創造し、その最後に人間を創造した」

次にスミナムは、人間の霊魂について次のように語った。「人間は、神と同様に霊魂を持つ生命体である。人間の肉体には寿命があるが、その霊魂は不滅であり、肉体が寿命を迎えたのちも永遠に存在し続ける」

次にスミナムは、天国と地獄について次のように語った。「人間が創造された当初、彼らの霊魂は死後に冥界と呼ばれる場所に導かれていた。冥界は、楽しみも苦しみもない平穏な場所である。人間の創造から三万年ののち、タキムスとタキマは、冥界とは別に天国と地獄という世界を創造した。天国は楽しみに満ちた世界であり、地獄は苦しみに満ちた世界である」

次にスミナムは、自身に与えられた使命について次のように語った。「私は、タキムスとタキマとの間に生まれた一人息子である。私の両親は、死者の霊魂を正しい場所に導くという使命を私に与えた。私への帰依を誓い、私が定めた戒律を守って生きた者は天国に導かれ、私を誹謗もしくは嘲笑した者は地獄に導かれ、それら以外の者は従来通り冥界に導かれる」

スミナムは、自身の教えを全世界の人々に宣べ伝えよと弟子たちに命じ、そして彼らの前から姿を消した。弟子たちは彼の教えを書き留めたものを持ち寄り、自分たちの宗教の聖典を編纂した。彼らはその聖典に「無上書」という題名を与え、その写本を数多く作成した。そして彼らはその写本を携えて世界の各地へ旅立った。

スミナム教の信徒は、伝道の開始から三年後には一万人に達し、七年後には十万人に達した。五日に一度、彼らは村ごとや街ごとに集まって信仰を深めるための集会を開いた。彼らの集会は、当初は個人が所有する家屋で開かれていたが、のちには集会のための建物が共同で建立されるようになり、そのような建物は聖堂と呼ばれた。スミナムの弟子たちは伝道の使命を後継者に託し、各地の聖堂で集会を主導する司祭と呼ばれる職に就いた。

トベクは、スミナムの弟子たちのうちで最高齢であり、スミナムが最も信頼を置いた弟子だった。彼は、すべての司祭を統率する教皇と呼ばれる役職に推挙された。彼が司祭を務めるカナデラ聖堂は諸聖堂の総本山となり、信徒たちの喜捨によって改築され、比肩するもののない壮麗な建築物となった。その大聖堂には、スミナム教の宗務を司る教皇庁と呼ばれる機関が置かれた。その機関には、教皇を補佐するために高位の司祭たちが常駐することとなり、彼らは枢機卿と呼ばれた。

スミナム教の信徒たちは、「無上書」に記載されている戒律を厳守することに細心の注意を払った。なぜなら、天国に導かれるためにはそうする必要があるということが彼らの信仰だったからである。しかし、「無上書」のみでは十分とは言えなかった。なぜなら、その文章は様々な解釈が可能だったからである。信徒たちは、それらの解釈のうちのいずれが正しいのかということについて語る書物を欲した。

トベクは、「無上書」の解釈を統一し、信徒にとって正しいこととそうでないことを明確に区別するための指針となる文書の編纂を枢機卿たちに命じた。その文書の編纂が完了したとき、トベクはすでに寿命を迎え、キクモスという枢機卿教皇の職を継承していた。キクモスはその書物を「教義要覧」と命名し、すべての聖堂はその写本を常備すべしという規則を定めた。

「教義要覧」が完成したことによって、「無上書」の解釈に関する信徒の悩みは、その大部分が解消された。しかし、「教義要覧」が言及していない細部の解釈が問題となることは、そののちもなくならなかった。「無上書」の解釈は一つの学問として確立され、多くの学者たちによって研究が進められた。「教義要覧」は彼らの研究成果を反映させるべく頻繁に改訂され、その度に厚さを増していった。

スミナム教は、人間が死後の幸福を得る方法に関する教えである。したがって、「無上書」は現世利益にはまったく言及しておらず、その点は「教義要覧」も同じだった。しかし、末端の信徒たちの多くは現世利益を求めた。スミナム教の敬虔な信徒たちの間にも現世における幸福には不平等があり、自分は不幸であると嘆く信徒たちにとって現世利益は切実な願いだった。

現世利益を求めるスミナム教の信徒たちが頼りにしたのは、スミナムではなく、彼の母であるタキマだった。彼らは彼女を聖母と呼び、彼女の図像や彫像に向って手を合わせ、自身や親族の幸福を彼女に祈願した。司祭たちの中には、タキマに対する現世利益の祈願はスミナム教からの逸脱であり、容認することはできないと主張する者も少なくなかった。しかし歴代の教皇は、現世利益を求める信徒たちの心情に理解を示し、タキマ崇拝を禁止すべしという一部の司祭たちの訴えには耳を貸さなかった。

回帰暦一四四三年、一つの噂がスミナム教の信徒たちの間を駆け巡った。それは、マシゲムタという国の片田舎にあるクラリマという村に、図像でも彫像でもない生身の聖母が出現したという噂だった。そのような噂が流れているという報告は教皇庁にも届いた。教皇キニモヌスは、タキマの出現についての調査を目的とする特使として、ソギレテスという枢機卿をクラリマに派遣した。

ソギレテスは、出現したタキマを目撃した人々を訪ね歩き、彼女は何をしたか、そして何を語ったかと質問した。人々は異口同音に、重い病で苦しんでいた自分または自分の家族に息を吹きかけることによって、彼女はその病を癒した、と答えた。また、タキマを目撃した村人のうちの数名は、「回帰暦一四四五年九月三日に、ムニソビナという国のモタネカという街に巨大な隕石が落下するでしょう」と彼女は予言した、と証言した。

帰国したソギレテスからの報告を聞いたキニモヌスは回勅を発布し、その中で、「クラリマに出現した者は数々の奇蹟によって自らがタキマであることを明らかにした」と述べた。その回勅はさらに、「タキマによる予言の真偽は定かではないが、モタネカに住むすべての信徒は、隕石の落下が予言された日にはその街から避難すべきである」と勧告していた。

隕石が落下するとタキマが予言した日の前日、モタネカに住むスミナム教の信徒たちは一斉に避難を開始した。信徒ではない人々の大多数は彼らの行動を嘲笑したが、信徒ではないにもかかわらず不安に駆られて街から脱出する者も少なくなかった。

翌日、ムニソビナに住むスミナム教の信徒たちはモタネカの方角の空を見守った。そして彼らは、巨大な隕石がモタネカに落下するのを目撃した。その街の周辺にいた人々は救援のためにその街を目指したが、彼らがそこで見たものは巨大な隕石孔のみだった。

クラリマはそれ以来、現世利益を求めるスミナム教の信徒たちの巡礼地として全世界にその名を知られるようになった。聖母がその上に降臨したと伝えられる岩山の頂上には巨大な賽銭箱が置かれ、巡礼者たちがそこに硬貨を投げ込む音は絶えることがなかった。岩山の麓では、巡礼者たちの喜捨によって壮麗な聖堂の建立が進められ、それは回帰暦一四五七年に竣工した。

タキマが二回目に出現したのは回帰暦一四六二年のことだった。グナバタラという国のサミナという村に出現した聖母は、村人たちの病を癒し、災害を予言して姿を消した。その予言は多くの信徒たちの命を救った。そののちも、聖母は世界の各地に出現し、病を癒す奇蹟を示現し、災害を予言した。聖母が出現した場所は現世利益を求める信徒たちの巡礼地となり、そこには彼らの喜捨によって聖堂が建立された。一部の司祭たちは、過度のタキマ崇拝はスミナム教を変質させるものであり、何らかの歯止めが必要であると教皇に訴えたが、歴代の教皇は彼らの訴えに耳を貸さなかった。

回帰暦一六二五年、タキマはパムキドカという国のツムザという村に出現した。これは彼女の十回目の出現だった。過去に一度も出現していない場所に彼女が出現したのはこのときが最後で、回帰暦一六四七年の十一回目から、彼女は過去に出現した場所に再出現するようになった。彼女が十一回目に出現した場所はサクタミカという国のトキゾマという村で、そこは彼女が六回目に出現した場所だった。それまでに出現したときと同様、彼女は村人たちの病を癒した。しかし、彼女の口から発せられた言葉は災害についての予言ではなく、スミナム教の教義に関する誤謬を訂正するものだった。

タキマは村人たちに次のように語った。「私とタキムスは協力して宇宙を創造しました。次に私たちはスミナムを創造しました。スミナムは天国を創造しました。しかし私たちは冥界も地獄も創造していません。すべての人間の霊魂は、肉体が寿命を迎えたのち、スミナムによって無条件に天国に導かれるのです」

トキゾマの司祭はタキマの言葉を教皇庁に報告した。教皇ザミテドスは回勅を発布し、その中で次のように述べた。「トキゾマに出現した女は真のタキマではなく、我々の信仰を試そうとする悪魔が遣わした者である。彼女の言葉は偽りであり、それを信ずる者はスミナムによって地獄に導かれるであろう」

しかし、トキゾマの村人たち、その周辺の街や村に住む人々、そしてその地を訪れた巡礼者たちは、タキマの言葉を信じ、スミナム教の教義を棄てた。村人たちは聖堂から「無上書」と「教義要覧」を持ち出し、それらを川に投げ捨てた。

回帰暦一六六〇年、三回目の出現と同じ場所であるネクザムカという国のモデスラという村に出現したタキマは、村人たちの病を癒したのち、次のように語った。「私とタキムスは協力してスミナムを創造しました。そしてスミナムは宇宙を創造しました。さらに彼は宇宙の中に地獄を創造しました。人間が創造された当初、彼らの霊魂は死後にスミナムによって地獄に導かれていました。地獄は苦しみに満ちた世界です。私は人間たちの霊魂が地獄で苦しむ姿を見て憐みを覚え、天国という楽しみに満ちた世界を創造し、地獄で苦しんでいたすべての霊魂を天国へ導きました。しかし、人間の霊魂を奪い返して地獄へ戻そうとするスミナムの試みは終わることがありません。私はそれ以来、人間の霊魂を天国へ導き、スミナムの魔の手から彼らを護る戦いを続けているのです」

そののちもタキマは、自分がかつて出現した場所に再出現し、その地域に住む人々の病を癒し、スミナム教の教義に関する誤謬を訂正する、ということを繰り返した。彼女が語る教義は彼女が出現するたびに異なっていた。彼女が出現した場所の周辺に住む人々やその地を訪れた巡礼者たちは彼女の言葉を信じ、スミナム教の教義を棄てた。多くの聖堂から「無上書」と「教義要覧」が持ち出され、それらは燃やされたり海や川に投げ捨てられたりした。

タキマが十九回目に出現したのは回帰暦一八三八年のことだった。その時点で、彼女がまだ再出現していない場所はクラリマのみだった。回帰暦一八四六年、教皇コヌキタリクスは教皇庁の六名の職員をクラリマに派遣した。彼らは、「タキマを騙る女が出現したならばその者を捕えて教皇庁へ連行せよ」という命令を教皇から与えられていた。

回帰暦一八五八年、タキマはクラリマに出現した。十二年に渡って彼女の出現を待ち続けていた教皇庁の職員たちは、教皇から与えられていた命令を実行した。

タキマが教皇庁に到着した日の夕刻、コヌキタリクスは彼女が収監された監房を訪ね、一対一で彼女を尋問した。最初に教皇は次のように彼女に尋ねた。「スミナム教の教義には誤謬があるとあなたは主張しているそうだが、正しい教義とはどのようなものか」

タキマは次のような教義を述べた。「私とタキムスは協力して宇宙を創造しました。さらに私たちは宇宙の中に天国を創造しました。私たちが人間を創造した当初、私は彼らの霊魂を死後に天国に導いていました。しかし、そののちタキムスは私を裏切り、ヌリカという女神と協力してスミナムを創造しました。スミナムは宇宙の中に地獄を創造しました。彼は、私が天国へ導こうとしている人間の霊魂を私の手から奪い、彼らを地獄へ導くことに執念を燃やしています」

コヌキタリクスは尋ねた。「その教義は、これまでにあなたが語ったどの教義とも異なっている。なぜあなたは出現のたびに異なる教義を語るのか」

タキマは次のように答えた。「私はクラリマに出現したタキマです。サミナに出現したタキマや、ツムザに出現したタキマや、その他の場所に出現したタキマは、いずれも私ではなく、私の名を騙る偽者です。彼女たちが語る教義はいずれも間違っています。私が語る教義こそが正しいのです」

尋問を終えたコヌキタリクスは立ち上がり、監房の扉に向って進んだ。タキマは、教皇が杖を頼りにして足を引きずって歩くのを見て、「足がお悪いのですか」と尋ねた。

「若い頃に怪我をして以来、右足が思うように動かないのだ」と教皇は答えた。

聖母は教皇に歩み寄り、跪いて彼の右足に息を吹きかけた。教皇は彼女の息が自身の右足の中を吹き抜けるのを感じた。次の瞬間、彼は自身の右足が意のままに動くことに気づいた。彼は杖に頼ることなく監房の中を歩き回った。そして聖母に礼を言おうとして彼女がいた場所に顔を向けた。しかし、そこに彼女の姿はなかった。教皇は聖母の名を呼んだが、その声は監房の中を虚しく反響するのみだった。

翌日、コヌキタリクスは回勅を発布した。その回勅は、クラリマに出現したタキマが語った教義について報告し、「今後はこれをスミナム教の正統な教義とする」と宣言し、「無上書」と「教義要覧」の廃棄を司祭たちに命じていた。