[第四十二話]円筒

タゲマという惑星の環境は悪化の一途をたどっていた。その惑星に棲む神という種類の生物は、環境の悪化を食い止めることは不可能であると判断した。そこで彼らは、新たな天体を創造し、そこへ移住する計画を立てた。彼らが創造した天体は、内部が空洞になった円筒だった。

神々は円筒の中心に光を発する物体を置き、それを新たな太陽とした。そして、円筒の内側の表面に陸と海を創り、陸には陸の生物を、海には海の生物を棲まわせた。神々は、自身が住む家を思い思いの場所に建て、その周囲の土地を畑にして様々な農作物の種をそこに蒔いた。

神々は、円筒の中で子供を産み、円筒の中で終焉を迎えた。やがて子供たちは成長し、次の世代の子供を産んだ。このようにして神々は世代交代を繰り返した。そして、円筒の外にも世界が広がっているという事実は、彼らの認識から少しずつ失われていった。

人間という種類の生物が円筒への侵攻を開始したのは、円筒の創造から三千年後のことだった。円筒を創造した世代の神々は、円筒への侵攻を企てる外敵が出現する可能性を考慮して、円筒の各所に様々な兵器を配備していた。しかし、円筒の創造から三千年を経た世代の神々は、それらの兵器を操作する方法を学習していなかった。彼らの図書館には万巻の書物があり、その中には兵器を操作する方法について記したものもあったが、それを読んでいる時間は彼らには残されていなかった。人間たちによる神々の殺戮は老若男女を問わなかった。その結果、神という生物は完全に絶滅した。

円筒の新たな所有者となった人間たちは、神々が円筒の各地に残した様々な建造物を住居や倉庫や工場や学校などとして再利用した。円筒の各地に点在する図書館もまた再利用の対象となった。しかし、図書館は住居にも倉庫にも工場にも学校にもならなかった。すべての図書館は、神々を祀る神殿として再利用されたのである。人間たちが神殿を必要とした理由は、怨霊となった神々が自分たちに仇をなすことを恐れたからである。人間たちは、円筒の各地にあるすべての図書館を神殿として整備し、神々の怨みを鎮めるための祭祀をその中で定期的に執行した。

人間たちは、円筒の中で子供を産み、円筒の中で終焉を迎えた。やがて子供たちは成長し、次の世代の子供を産んだ。このようにして人間たちは世代交代を繰り返した。子供たちが親から継承したものは遺伝子のみではなかった。神々に対する祭祀の伝統もまた、世代から世代へと連綿と継承されていったのである。しかし、度重なる世代交代は祭祀の目的を少しずつ変質させていった。数十世代後の人間たちは、祭祀の目的は神々の怨みを鎮めることではなく、農作物の順調な生育を祈願することだと考えるようになっていた。

神殿の内部には、かつてそれが図書館だった時代のままに、万巻の書物が保管されていた。学校に勤務する教師たちの一部の者たちにとって、それらの書物は未知の知識を秘めた魅力的な探究の対象だった。彼らは神々の書物を探究の対象とする学問の体系を構築した。彼らが構築した学問は神学と呼ばれ、それを専攻する教師たちは神学者と呼ばれた。

人間による円筒の征服から三千年が過ぎると、世界は円筒の外にも広がっているという認識は、かつて神々がそうであったのと同様に、円筒に住む人間たちの意識の中から失われていた。ただし、神学者たちはその例外だった。なぜなら、神学者たちにとって、かつて神々が棲んでいたタゲマという惑星に関する知識や、無数の星々を浮かべる宇宙に関する知識は、神々の書物を理解する上で必要となる基礎知識だったからである。

円筒へ侵攻する以前の時代において人間たちはどこでどのように暮らしていたのかという問題は、一部の神学者たちにとって重要な研究課題だった。円筒への侵攻から三千年を経た人間たちが持つ、侵攻を開始する以前の人間に関する知識は、きわめて貧弱なものだった。人間を研究の対象とする神学者たちは、神々の書物に記載されている人間に関する記述を丹念に拾い集めた。

神々によって円筒が建造されるまで、神と人間は、ともにタゲマという同じ惑星の上で暮らしていた。神は爬虫類、人間は哺乳類だったが、いずれも進化によって高い知能を獲得した生物である。しかし、彼らが保有する科学技術は、人間よりも神のほうが高度だった。惑星の環境が悪化したとき、神々は円筒を建造してそこへ移住することができたが、人間たちはどこへも移住することができなかった。

その後、悪化の一途をたどるタゲマの環境の中で人間たちはどのようにして生き延びたのか、ということを記述した神々の書物は存在しない。おそらく人間たちは、悪化した環境の中で生き延びるための工夫を凝らしつつ、科学技術を少しずつ発達させたに違いない。そして、神々が円筒へ移住してから三千年後には、人間を円筒へ送り込むことができるほどの科学技術を保有するに至ったのであろう。

人間たちが円筒を征服したのち、すべての人間が円筒へ移住したのかどうかということについては、いかなる記録も伝承も存在していなかった。したがって、一部の人間がタゲマで暮らし続けることを選択し、彼らの子孫が依然としてタゲマで暮らしている、という可能性も否定できなかった。一部の神学者たちは、タゲマに留まることを選択した人間たちの子孫が存在するか否かを確認するために、タゲマを探査することを望んだ。

円筒の底面には円形の壁があり、円筒の外部に空気が漏れることをそれが防いでいる。円筒の中では、円筒の回転方向を東、その逆方向を西、東に向かって左の方向を北、その逆方向を南と呼ぶ。北の壁の中心には宇宙港があり、それが、円筒の内部と外の世界とを結ぶ唯一の扉だった。

宇宙船に関する研究を専門とする神学者のメズカドナは、円筒への神々の移住に言及している各種の書物を分析した結果、タゲマから円筒への神々の移住に使われた数十隻の宇宙船は、移住が完了したのちも円筒の宇宙港にある格納庫で再度の就役を待ち続けているに違いないという結論を導き出した。彼女は、神々の宇宙船を再利用してタゲマを探査するという計画を立て、自身の旅に同行して探査に従事する神学者を募集した。そして、その募集に応募した神学者たちの中から、異なる分野を専門とする六名の神学者を選び、惑星探査隊を組織した。

旅支度を整えた七人の神学者は、支援者たちに見送られて出発した。彼らの第一の目標は北の壁だった。彼らは森を抜け、海を渡り、峠を越えて北を目指した。出発から七十八日後、彼らは北の壁にたどり着いた。惑星探査隊の隊員の一人は、円筒の構造に関する研究を専門とする神学者だった。彼は、円筒の地表と宇宙港とを結ぶ昇降機を操作する方法を心得ていた。彼が操作する昇降機は七人の神学者を載せ、壁の中心を目指して上昇した。

宇宙港には、円筒へ侵攻した人間たちを乗せていた数隻の宇宙船が放置されていた。三千年の歳月はそれらの宇宙船を構成する物質を著しく腐蝕させており、それらを宇宙船として再利用することが不可能であることは一目瞭然だった。それに対して、神々がタゲマから円筒への移住に使用した宇宙船は、メズカドナが推測したとおり、宇宙港の格納庫の中で、電子頭脳による手厚い保守のもとに保管されていた。

メズカドナは、数十隻の宇宙船の中から、惑星の探査に適した一隻を選んだ。それはテジムドミ号という名前の宇宙船だった。「テジムドミ」は、再会を意味する神々の言葉である。彼女は、テジムドミ号の電子頭脳に対して、タゲマへ向かうようにと命令した。宇宙船は七人の神学者を乗せ、円筒の宇宙港から出港した。

円筒は、タゲマの衛星軌道上で建造されたが、神々の移住が完了したのち、タゲマを擁する恒星系から脱出する軌道へ移されていた。円筒が六千年で移動した距離を、テジムドミ号は六十日で移動した。

タゲマの環境は、すでに人間の生存を拒絶するものとなっていた。しかしタゲマの上では、その環境に適応した様々な生物が彼らの生命を謳歌していた。神学者たちは宇宙船を低空で飛行させ、人間を探し求めた。しかし、彼らが発見したものは、生きている人間ではなく無数の廃墟だった。

しかし、神学者たちはあきらめることなく探査を続行した。そして、廃墟の一角で、依然として活動状態にある構造物を発見した。メズカドナは、廃墟の中の広場に船を着陸させよと電子頭脳に命令した。

メズカドナは二人の神学者とともに防護服を着て下船し、その構造物に接近した。構造物は、「姓名を述べてください」という音声を発した。

三人の神学者が各自の姓名を告げると、構造物は、「あなたたちはどこから来たのですか」と彼らに尋ねた。

「私たちは円筒から来ました」とメズカドナは答えた。

構造物は扉を開いて三人の神学者を内部に招き入れた。構造物の内部の環境は、人間の生命維持に最適化されていた。神学者たちは防護服を脱いだ。構造物は、回廊の中を進んでいくようにと彼らに指示した。

三人の神学者は曲りくねった回廊の中を進んでいった。その回廊の出口には、入口にあったものと同型の構造物があった。その構造物の外は、人々が行き交う街だった。戸惑う神学者たちに向かって、一人の男が歩み寄ってきた。その男はガモテビクと名乗り、円筒の現状に関する様々な質問を神学者たちに投げかけた。

ガモテビクの質問に答えたのち、神学者たちは、三千年前にタゲマに残ることを選択した人間たちのその後の歴史を教えてほしいとガモテビクに依頼した。ガモテビクはその依頼に応じて次のような歴史を語った。

「タゲマに残ることを選択した我々の祖先たちは、悪化した環境の中で生き延びるための努力を続けました。そして、それと並行して、他の恒星系へ移住するための研究にも力を注ぎました。その結果、我々の祖先たちは亜空間回廊を建設する技術を確立したのです。亜空間回廊とは、歩いて数十歩の長さでありながら任意の二点間を結ぶことのできる回廊のことです。我々の祖先たちは、人間の居住に適した数百の惑星に通ずる亜空間回廊を構築し、それらの惑星に移住しました。あなたがたがタゲマの上で発見した構造物は亜空間回廊の結節点で、あなたがたが先ほど通った回廊は亜空間回廊の一本です。あなたがたは今、タゲマから七万三千光年を隔てた別の惑星にいるのです」

メズカドナは、「それらの惑星と円筒との間にも亜空間回廊を構築することは可能ですか」とガモテビクに尋ねた。

「可能です」とガモテビクは答えた。

テジムドミ号は、亜空間回廊に関する書物を貨物室に満載してタゲマから飛び立った。円筒に帰還した神学者たちは、それらの書物を各地の神殿に配付した。それらの書物は、神学者たちのみならず様々な分野の専門家たちによって読まれた。それらの書物から亜空間回廊について学習した人々は、円筒の内部に結節点を建設する計画を始動させた。

結節点が竣工したのは、計画の始動から十六年後のことだった。円筒の多くの人々が亜空間回廊をくぐり抜けて様々な惑星へ旅立って行った。逆に、円筒にも様々な惑星から旅人たちが訪ねて来た。旅人たちが持ち帰った円筒についての見聞は、人間が住む多くの惑星で大きな反響を呼んだ。なぜなら、惑星に住む人間にとって、神々というのはそれまでは人間によって書かれた記録でしか知ることのできないものだったからである。円筒とその内部に残された様々な建造物は、彼らにとっては初めて見る神々の遺産だったのである。

神学は、円筒に住む人間のみが探究する学問ではなくなった。円筒には、亜空間回廊を通って、神学を修得するという大志を抱いた多数の留学生が渡って来た。彼らは神学を修得して故郷の惑星に帰り、後進たちを指導した。