[第四十四話]分岐

虚空の中に神々が出現したとき、宇宙はまだ存在していなかった。

出現した神々の数は七柱だった。彼らは会議を開き、これから自分たちは何をすべきであるかという問題について話し合った。そして、宇宙を創造すべきであると満場一致で議決した。彼らは、多次元空間を構成する無限個の三次元空間のうちから一つを選び、その中に無数の恒星を創造し、それぞれの恒星の周囲を公転する無数の天体を創造した。

神々は、無数の惑星の中から生物の生育に適した一個の惑星を選び、その惑星の上で様々な生物の種を創造した。そのとき一柱の神が、「我らに似た知能の高い生物の種を創造しよう」と提案した。他の神々もその提案に賛同し、彼らはそのような生物の種を創造した。その種の個体たちは、生態系を構成するそれぞれの生物の種に種名を与え、自分たちにも人間という種名を与えた。また人間たちは、自分たちが棲む惑星にポゲナという名前を与えた。

神々は人間たちに自由な活動を許した。しかし、人間たちの活動は神々によって常に監視されていた。そして、放置すると重大な破局を招くであろうと判断される場合、神々は人間たちの活動に介入した。

神々の意思は、常に合議によって決定された。人間たちの活動に介入すべきか否かという意思を決定する必要が生じた場合、あるいは、介入が決定されたのち、具体的にどのような方法で介入すべきであるかという意思を決定する必要が生じた場合、彼らは、それを決定するための会議を開いた。議決は、常に七柱の全員による賛成を必要とした。意見の対立がある場合、彼らは全員の意見が一致するまで話し合いを続けた。

しかし、神々の話し合いは、常に一つの意見に収束するとは限らなかった。意見が分裂したまま話し合いが平行線をたどることも、まったくないわけではなかった。そのような場合の解決策は、宇宙の分岐だった。すなわち、介入すべきか否かで意見が分裂した場合は、宇宙を二つに分岐させ、その一方のみに対して介入を実施し、介入の方法をめぐって意見が分裂した場合は、分裂した意見と同じ数になるように宇宙を分岐させ、それぞれの意見に基づく介入をそれぞれの宇宙に対して実施するのである。そして神々は、複数の宇宙のうちで、最も望ましい状態へ事態が好転した一つの宇宙のみを残して、他の宇宙を消滅させるのである。

隕石暦二七三九年、トゲムラとクギスミカという二つの大国の間で発生した、メテグナという植民地をめぐる紛争は、それぞれの国の同盟国を次々と巻き込み、のちにメテグナ戦争と呼ばれることになる、ポゲナの全域を戦場とする戦争へと発展した。それぞれの陣営の戦力は拮抗しており、開戦の三年後に戦争は膠着状態に陥った。それぞれの陣営の首脳たちは、膠着状態を打開するため、鳩首して戦略を練った。彼らは、反物質爆弾を使用するという選択肢も視野に入れていた。

反物質爆弾とは、隕石暦二七二〇年代に開発された、物質と反物質との対消滅を応用した爆弾のことである。二七三〇年代の前半に戦略兵器として各国で配備が進み、二七三五年の調査によれば、その総量は、ポゲナ上のすべての生物を絶滅させるに足る量の数十倍に達していた。

七柱の神々は、ポゲナの情勢について話し合う会議を開いた。反物質爆弾による生物の絶滅を阻止するためには、どちらかの陣営に対して神佑天助を授けることによって戦争の膠着状態を打開する必要がある、という点で彼らの意見は一致した。しかし、どちらの陣営に対して神佑天助を授けるべきかという点で、彼らの意見は二つに分裂した。四柱の神々はトゲムラに授けるべきであると主張したが、残りの三柱の神々はクギスミカに授けるべきであると主張した。

神々は、分裂した意見を一本化するために話し合いを続けたが、彼らの話し合いは平行線をたどった。そこで、宇宙を二つに分岐させて神佑天助を授けようという動議が一柱の神から提出され、その動議は満場一致で採択された。神々は宇宙を二つに分岐させ、一方の宇宙ではトゲムラに神佑天助を授け、他方の宇宙ではクギスミカにそれを授けた。

トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙では、トゲムラが戦略的に優勢となり、クギスミカに対して無条件降伏を要求した。クギスミカはそれを受諾し、メテグナ戦争はトゲムラの勝利によって幕を閉じた。それに対して、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙では、それとは逆のことが起きた。すなわち、メテグナ戦争はクギスミカの勝利によって幕を閉じたのである。

神々は会議を開き、二つの宇宙のうちで、反物質爆弾を先に全廃することができたものを残し、他方を消滅させるという方針を満場一致で議決した。しかし、どちらの宇宙でも、反物質爆弾の廃棄は遅々として進まなかった。その理由は、どちらの宇宙でも、メテグナ戦争の終結がすべての対立の解消を意味するものではなかったからである。

トゲムラが勝利した宇宙では、かつてはトゲムラの同盟国だったナガモテカが、植民地の権益をトゲムラから収奪するという野望を抱き、軍事力を増大させた。各国の同盟関係は、トゲムラとナガモテカのそれぞれを中心にして再編成された。

クギスミカが勝利した宇宙では、クギスミカとその同盟国が占領した国々で民衆による叛乱が次々と勃発し、占領軍による統治は機能不全の状態に陥った。そして民衆が樹立した臨時政府は、自国の反物質爆弾を管理下に置いた。

タクロメナという国は、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙では、民衆が樹立した臨時政府によって統治されていた。隕石暦二七四八年、タクロメナの臨時政府の首相に就任したマデコツは、所信表明演説において、自国の反物質爆弾をすべて廃棄するという方針を述べた。彼の発言は、トゲムラに神佑天助を授けるべきであると主張した四柱の神々に動揺を与えた。彼らは秘密裡に会合を開き、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙を消滅の危機から救うための方策について協議した。

表立った介入は、クギスミカに神佑天助を授けるべきであると主張した三柱の神々に察知されるおそれがあるため、避けるほうが賢明だった。反物質爆弾の廃棄をトゲムラとナガモテカの指導者に強要するという案は、その理由によって愚策として斥けられた。一般人を徴用するならば発覚の危険性が低いが、その場合は、徴用した者にどのような工作を実行させれば反物質爆弾の廃棄が実現するかという難問を解決しなければならなかった。

トゲムラに神佑天助を授けるべきであると主張した四柱のうちの一柱であるテバリモスは、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙の工作員をクギスミカに神佑天助が授けられた宇宙へ送り込み、反物質爆弾の廃棄を困難にするような工作をその工作員に実行させてはどうかと提案した。他の三柱の神々はその案に対して賛意を表明した。

タクロメナに住むトビネリナという人間は、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙では、殺人の容疑で指名手配されていた。テバリモスは彼女を工作員として選定した。彼は彼女の前で実体化し、神々が宇宙を二つに分岐させた経緯について彼女に説明し、自分を含む四柱の神々は、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙を消滅の危機から救いたいと望んでいると告げた。そして、次のような取引を彼女に持ち掛けた。「もしもお前が我々の計画に基づく工作を遂行するならば、我々は、お前の事件に関係するすべての記録、および関係者の記憶を改竄し、お前が殺した者は事故死であったという事実を捏造してやろう」

トビネリナは、その取引に応ずるとテバリモスに返答した。神は、彼女が実行すべき工作について彼女に説明した。それは、タクロメナに対する反物質爆弾の使用を含む攻撃をクギスミカが準備しているという虚偽の情報をタクロメナのマデコツ首相に信じ込ませるという工作だった。説明が終わると、神は、タクロメナの山間部にある鬱蒼とした森の中へ彼女を連れて行った。そこにあったものは深い竪穴だった。その穴の底には横穴があり、その横穴は別の竪穴に通じていた。そして、その竪穴を登って外に出ると、そこに広がっていたのは、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙だった。

トビネリナが実行した工作は、首尾よく成功した。タクロメナのマデコツ首相は、自国に対する反物質爆弾の使用を含む攻撃をクギスミカが準備しているという虚偽の情報を真実だと信じた。彼は、自国の反物質爆弾をすべて廃棄するという方針を撤回した。テバリモスは、トビネリナが殺した者は事故死だったという事実を捏造した。

マデコツ首相が反物質爆弾の廃棄を撤回したことは、クギスミカとタクロメナとの間の緊張を一段と高めた。その緊張は他の国々にも波及し、多くの国々が反物質爆弾を含む軍備を増強させた。事態は、テバリモスが目論んだとおりに進展すると思われた。しかし、その後の展開は、テバリモスが予想だにしないものだった。マデコツ首相は、クギスミカからの先制攻撃に対する恐怖心に駆られ、クギスミカに対して宣戦布告を実施し、クギスミカの軍事拠点となっているロギマスという地方都市への反物質爆弾の投下を自国の軍隊に命じたのである。

ロギマスに投下された反物質爆弾は、その都市に駐留していた数万人の兵士たち、およびその都市に住んでいた数十万人の一般市民を一瞬にして消滅させた。爆心地を中心とする半径六里の円形の地域は茫漠たる荒野となった。その光景は、クギスミカの国民のみならず、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙に住むすべての人間を震撼させた。

爆心地に建立された巨大な慰霊碑の除幕式において、クギスミカの首相は、自国が保有するすべての反物質爆弾を廃棄すると宣言した。クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙に住む人間の大多数は、彼の決意を無にしてはならないと考え、自国の反物質爆弾を廃棄せよ、と自国の元首たちに要求した。民衆の暴徒化を恐れた元首たちは、自国の反物質爆弾の廃棄を国民に確約した。このようにして、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙においては、反物質爆弾の廃棄が急速に進んだ。

トビネリナは、自身に与えられた任務が完了し、殺人犯として指名手配されていたという事実が消滅したのちも、しばしば、森の中の穴を抜け、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙を訪問していた。その目的は、その宇宙で暮しているもう一人の自分を宇宙の消滅から救うことだった。

しかし、反物質爆弾をめぐるそれぞれの宇宙の状況は、テバリモスが期待したものとは大きく異なる方向へ進展していた。トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙では、トゲムラとナガモテカとの間の確執がますます深刻化し、反物質爆弾を廃棄することができるような状況ではなかった。それに対して、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙では、すべての反物質爆弾の廃棄が完了する日の到来まで、数年を残すのみだった。消滅の危機に瀕しているのはトゲムラに神佑天助が授けられた宇宙のほうである、ということは明らかだった。

トビネリナは、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙からクギスミカに神佑天助が授けられた宇宙へ、自分の家族や自分が恩義を受けた人々を避難させなければならないと考えた。彼女は彼らに事情を説明し、自分とともにこの宇宙から避難してほしいと懇願した。彼女の話はあまりにも荒唐無稽であり、彼らはそれを信じることができなかった。しかし、彼女に連れられて森の中の穴を抜けた彼らが見たものは、メテグナ戦争でクギスミカが勝利した宇宙だった。彼らは彼女の話を信じ、別の宇宙への移住に同意した。

トビネリナと同様に、宇宙が消滅することを彼女から聞いた人々にも、家族や恩人がいた。彼らは、自分たちの宇宙が消滅の危機にあることを自分の家族や恩人に伝え、それを信じない者には、異なる歴史を歩むもう一つの宇宙を見せた。

宇宙が消滅するという噂は、トビネリナを中心として波紋のごとく広がり、瞬くうちに惑星の全土を覆った。そしてその噂はすべての国の元首たちの耳にも届いた。しかし、宇宙を消滅から救うために反物質爆弾を廃棄しようと考えた元首は皆無だった。彼らが腐心したことは、いかにして自身がもう一つの宇宙へ避難するかということだった。

トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙では、タクロメナの首相はマデコツではなくドリゲルツという人物だった。彼は、もう一つの宇宙にあるタクロメナを武力によって占領する計画を立て、二つの宇宙を結ぶ穴に軍隊を集結させた。しかし、もう一つの宇宙へ送り込むことのできた軍隊は、タクロメナが保有する軍隊のごく一部だった。なぜなら、軍隊の大部分は、穴を自国の管理下に置くことを望む諸国の軍隊による侵攻を食い止めるために、元の宇宙に残しておく必要があったからである。

ドリゲルツ首相は自ら軍隊を率い、自国が保有するすべての反物質爆弾とともに、もう一つの宇宙のタクロメナに侵攻した。そして、即座に降伏しなければタクロメナの首都に反物質爆弾を投下する、とマデコツ首相を脅迫した。マデコツは脅迫に屈し、ドリゲルツの軍門に降った。ドリゲルツは、クギスミカに神佑天助が授けられた宇宙にあるすべての国を占領し、そののち反物質爆弾を廃棄する、という計画を立て、周辺諸国を次々と占領していった。

トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙の元首たちは、もう一つの宇宙へドリゲルツが反物質爆弾を持ち込んだことによって、自分たちの宇宙にも存続の可能性が残されることになった、ということに気付いた。すなわち、もう一つの宇宙よりも先に反物質爆弾の廃棄を完了させることができたならば、自分たちの宇宙は消滅を免れることになる、ということである。元首たちは国際会議を開き、反物質爆弾の廃棄を義務化する条約を締結した。

クギスミカに神佑天助を授けるべきであると主張した三柱のうちの一柱であるカナモスタは、ドリゲルツと彼の軍隊が彼らの宇宙からもう一つの宇宙へ移動した手段について調査した。そして彼女は、トゲムラに神佑天助を授けるべきであると主張した四柱の神々が企てた陰謀がその背景にあることに気付いた。彼女は、その陰謀の全容を解明したのち、会議を招集した。そして、会議による議決を経ずに人間の活動に介入した四柱の神々に対する処罰として、五百年間の議決権停止を提案した。四柱の神々は自らの非を認め、彼女の提案は満場一致で採択された。

議決権を持つ三柱の神々は、ドリゲルツとその軍隊、および彼らが保有する反物質爆弾を、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙へ送り返すこと、そしてその宇宙を消滅させることを満場一致で議決した。しかし、三柱の神々は、その決議を執行することができなかった。なぜなら、トゲムラに神佑天助が授けられた宇宙は、三柱の神々が会議を開いている最中に、議決権を停止させられた四柱の神々によって密かに持ち去られてしまったからである。

議決権を持つ三柱の神々は、多次元空間のあらゆる方角に向けて捜索の網を広げた。しかし、宇宙を持ち去った四柱の神々の行方は、杳として知ることができなかった。