[第五十一話]泉

マテナという女神が出現したとき、存在するものは彼女のみだった。彼女は宇宙を創造したいと思った。

宇宙はマテナが自身のみによって創造することも可能だった。しかし彼女は、自身とは別の神の協力のもとにその仕事を進めたいと思った。そこで彼女は一柱の男神を創造し、彼をパテスと命名した。

マテナは、どのような宇宙を創造するかということについてパテスと話し合った。そして彼らは、その結論に基づいて物理法則を定め、その物理法則に支配された宇宙を創造した。その宇宙の内部には、陽子や中性子や電子などの素粒子が生成された。それらの素粒子は、組み合わさって様々な原子を生み出した。それらの原子は、組み合わさって様々な物質を生み出した。それらの物質は、組み合わさって恒星や惑星や衛星などの様々な天体を生み出した。

惑星や衛星のうちで、液体の水が豊富に存在する環境を持つものにおいては、生物が発生した。生物は進化し、多様な種に分化した。ある惑星では、極めて高い知性を持つ種が出現した。その種の生物は、言語を編み出して互いの意思の疎通を図り、様々な道具を作り出して生活をより快適なものにした。彼らは自分たちを「人間」と呼んだ。

マテナは、パテスとともに宇宙の変化を見守っていたが、自分たちが創造した宇宙に大いに満足し、休息のために深い眠りに就いた。

パテスは、マテナが眠りに就いたのちも宇宙を見守り続けた。彼が特に注目したのは人間たちだった。人間たちは、存在しない様々な神々の偶像を造り、それらを崇拝した。パテスは人間たちの中から預言者を選び、彼に啓示を授けた。その啓示の中で彼は、「汝らが崇拝すべき神は我のみであり、いかなる偶像も崇拝してはならない」と人間たちに厳命した。しかし、パテスの啓示を心に留める者は少数だった。多くの者は即座に啓示を忘れ、偶像に対する崇拝を続けた。

パテスは、人間たちを正しい信仰に導くためには祝福と刑罰が必要であると考えた。そこで彼は天国と地獄を創造し、死後に肉体から分離した人間の霊魂に対して、その人間が生前に自身を崇拝していた場合には天国における祝福を、それ以外の場合には地獄における刑罰を与えることとした。

パテスは、神であるとともに人間でもある者を創造し、祝福と刑罰についての啓示を人間に伝えること、および死者の霊魂に対する審判を下すことを使命としてその神に与えようと考えた。しかし、パテスには単独で神を創造する能力が備わっていなかった。すなわち、神を創造するためにはマテナの協力が不可欠だったのである。

パテスは、深い眠りのうちにあったマテナを目覚めさせ、自身の計画を彼女に話した。そして、神であるとともに人間でもある者を創造することに協力してほしいと彼女に依頼した。彼女は、パテスを崇拝しない人間に刑罰を与えるということに不快感を覚えたが、宇宙の創造における彼の貢献に対しては恩義を感じていたので、彼の依頼を受諾することにした。

マテナはトグリコムタという国に降臨し、一人の人間の肉体を創造して自身をそれに宿らせた。次にマテナとパテスは一柱の男神を創造した。そしてマテナは、人間の受精卵を創造し、その男神をその受精卵に宿らせ、その受精卵を自身の子宮に着床させた。月が満ち、彼女は子供を出産した。パテスはその子供をメロクと命名した。

マテナはスダルという大工と結婚し、彼の庇護のもとでメロクを育てた。スダルは大工の仕事をメロクに継がせようと考え、彼が十二歳になったころから自身の技術を彼に教え始めた。メロクはスダルの期待に応えて熱心に技術の修得に努め、二十歳からは一人前の大工として仕事を任されるに至った。

メロクが三十歳になった年、彼の前にパテスが出現した。パテスは次のように彼に告げた。

「我はパテスである。汝の真の父は我である。汝は我の計画を実現させるために創造された者である。我は汝に使命を与える。それは、正しい信仰には祝福が与えられ、間違った信仰には刑罰が与えられると人間たちに伝えること、および、彼らの死後に彼らの霊魂に審判を下すことである」

メロクは多くの人々が歩き回る市場の一角に立ち、自分は神の子であり、死後の審判について人間に伝えるために神から遣わされた者であると人々に語った。人々は歩みを止めて彼の言葉に耳を傾けた。大多数の人々は彼の言葉は作り話であると考えたが、彼の言葉は真実であると信じた一部の者たちは彼の弟子となり、パテスに対して祈りを捧げた。

ネムはメロクの弟子の一人だった。パテスは一つの使命をドネムに与えた。それは、メロクは民衆を煽動して叛乱を起こそうとしていると行政機関に告発することだった。ドネムは神に指示されたとおりに行動した。

メロクは捕縛され、勾留された。彼を裁く裁判が開かれ、彼が語る説教を聴いたという人々が証人として出廷した。彼らの証言は被告人が有罪であるという印象を裁判官に与えた。裁判官は被告人を死刑に処すという判決を下した。処刑は六日後に執行され、遺体はマテナとスダルに引き渡された。二人は息子の遺体を墓地に埋葬した。

メロクに対する死刑の執行から四日後、パテスは彼を復活させた。メロクは再び市場の一角に立ち、自分が死から復活したことは自分が神の子であることの証拠であると人々に語った。そして彼は市場から去り、死者の霊魂に対して判決を下す審判者の務めを果すために天上に昇った。マテナはそののちもスダルと暮らし、彼が天国に召されたのちに天上に戻った。

死からの復活という奇跡を目の当たりにした人々は、メロクを神の子と認め、死後の審判に備えてパテスを崇拝しなければならないという彼の言葉を信じた。メロクの弟子たちはトグリコムタの各地に会堂を建て、神の子の教えを聴くために集まった人々に彼の言葉を伝えた。さらに弟子たちは、信徒たちから構成される組織を作り、それを「教会」と呼んだ。

メロクの弟子たちは神の子を「カシモス」という尊称で呼んだ。それは審判者を意味する普通名詞である。メロクに帰依する人々が信ずる宗教は、やがて「カシモス教」と呼ばれるようになった。カシモス教の信徒たちは、メロクが誕生した年を紀元とする「降誕暦」と呼ばれる暦法を使って年を数えた。降誕暦二世紀には、カシモス教の会堂はトグリコムタのみならずその周辺の国々でも次々と建設されていった。

カシモス教の信徒のうちで教養のある者たちは、メロクの生涯と彼の教えを文字で書き記した。信徒たちはそのような文書を「福音書」と呼んだ。メロクの弟子たちが天国に召されたのちは、彼の教えを後世に伝えるものはそれらの福音書のみだった。

福音書の多くには、メロクが語ったとは考えにくい異端的な教えが記されていた。そこで、「司教」と呼ばれる教会の指導者たちは、福音書のうちから異端的な教えを含まない四書を選び出し、それらに正典としての権威を与えた。そしてそれら以外の福音書外典として排斥した。

福音書の正典が伝えるメロクの教えは極めて断片的であり、その全体像を把握するためには、明言されている教義から明言されていない教義を推論によって導出する必要があった。しかし、それらの推論は正しい教義のみならず無数の異説をも生み出した。司教たちは、導出された教義の真偽について研究する、「神学」と呼ばれる学問を創設した。神学は、当初は司教たちによって営まれていたが、やがて、「神学者」と呼ばれる神学のみを職業とする人々に委ねられるようになった。

メロクは人間であるか、それとも神であるか、という問題は神学者たちの間で大きな論争となった。なぜなら、福音書に記されたメロクの発言の中で、彼はしばしば自身を「神の子」と呼んでいるが、自身が神である、あるいは人間であると明言した発言は福音書の中に存在していないからである。

降誕暦三二八年、司教たちは、メロクは神であるか人間であるかという論争を終決させるために、「公会議」と呼ばれる会議を招集した。その結果、メロクは神でありかつ人間でもあるという教説が正統的な教義として採択された。この公会議ののち、教会は、メロクは神ではない、あるいは彼は人間ではないという教説を唱える者たちを異端者として糾弾した。そして、自説の撤回に応じない者に対しては焚刑を科した。

メロクは神であるという教説は、マテナに対して「神の母」という地位を与えた。しかし、神の母は神であるか、それとも人間であるか、という問題は神学者たちの間での議論の論題とはならなかった。なぜなら、マテナは人間であって神ではないという教説に異を唱える神学者は一人もいなかったからである。

神学者たちとは対照的に、カシモス教の一般の信徒たちの多くは、パテスとメロクのみならず、マテナをも神として崇拝した。パテスとメロクが死後の裁きにかかわる神として崇拝されたのに対して、マテナに対して信徒たちが期待したものは現世における幸福だった。彼らは、豊作、豊漁、良縁、安産、病気や怪我の平癒、出征した親族の生還など、様々な願いを彼女に祈った。

司教たちは、一般の信徒たちによるマテナに対する崇拝はパテスとメロクに対する崇拝とは異なる別のものであるとみなし、それを「崇敬」と呼んだ。そしてマテナに対する崇敬は正統的な教義に反するものではないと考え、マテナに対する信徒たちの祈願を黙認した。

マテナは、メロクを創造するという仕事を終えたのちは、休息のために再び眠りに就きたいと望んでいた。しかし彼女は、自分に寄せられる信徒たちからの期待に応えるため、その予定を先延ばしすることとした。

カシモス教の一般の信徒たちが持つマテナに対する期待は、時代が移り変るにつれて増大する一方だった。彼女に対する祈願の件数は、降誕暦十九世紀の初頭に、彼女に対処することが可能な限界を超えた。そこで彼女は、自身の霊力を泉の水に分与することによって、自身の負担を軽減させようと考えた。

テモビサという寒村は、その住民のほとんどすべてが敬虔なカシモス教徒だった。降誕暦一八六七年のある日、テモビサに住むクナミタという少女が、一人の見知らぬ婦人と村外れで出会った。その婦人は少女の手を引いて岩山の麓まで連れて行き、地面を指差して、「ここを掘るのを手伝ってもらえませんか」と依頼した。婦人と少女が土を掘ると、その穴の底から清水が湧き出した。礼を述べて去ろうとする婦人に、少女は名前を尋ねた。婦人は、「私はモザリタコトモスという者です」と答えて姿を消した。

テモビサの村人たちは、新しく湧き出した泉の水を洗濯や炊事に利用していたが、しばらくして、その水には病を癒す効験があるということに気づいた。病を癒す水が湧く泉があるという噂は、燎原の火のごとく広がっていった。

テモビサの泉の噂は、カシモス教の司教たちの耳にも届いた。彼らは、泉の湧出に至る経緯について調査するために、数名の司教から構成される調査団をテモビサに派遣した。調査団の司教たちはクナミタから事情を聴取し、それを教会に報告した。その報告には「モザリタコトモス」という婦人の名前も含まれていたが、その名前を持つ者の正体を見抜くことのできた司教は一人としていなかった。

「モザリタコトモス」という名前の意味は、テゼミカという言語学者によって解明された。彼女は、この名前は古代のトグリコムタで使われていたモルキ語という言語で「神の母」を意味すると教会に報告した。司教たちはこの報告に基づき、テモビサに顕現した婦人はマテナであるということを真実として公認した。

テモビサには、病を持つカシモス教の信徒たちが世界の各地から訪れるようになった。彼らは泉の水を浴びたり飲んだりすることによって自身の病を癒し、マテナに対して感謝の祈りを捧げ、泉を管理するテモビサの村人たちに金銭を奉納した。村人たちは、参詣者たちからの奉納金の一部を拠出して、泉のそばに簡素な会堂を建設した。

司教たちは信徒たちがテモビサに参詣することを黙認した。それに対して、神学者たちは、テモビサへの参詣を司教たちが黙認することは、マテナは神ではないという正統的な教義からの逸脱を助長するものであると考えた。神学者たちは大学での講義の中で司教たちを批判したが、批判に耳を傾ける司教は皆無だった。

ガトモリツは、マテナ崇敬を批判する神学者たちの急先鋒だった。彼は、テモビサへの参詣を禁止するように要請する手紙を各地の司教に送ったり、マテナ崇敬がカシモス教の教義を変質させる危険性について警告する書物を出版したりするなど、批判のために積極的に行動した。マテナは、人間たちと自身との間の信頼関係に水をさす神学者が存在することに憂慮を覚えた。

降誕暦一八九二年のある日、講義を終えて黒板を消していたガトモリツは、教室の中に一人の婦人が立っていることに気づいた。その婦人は、自分はモザリタコトモスであると名乗り、自分に対する人々の崇敬を批判することをやめてほしいと彼に要請した。彼は、メロクの母である証拠を見せてほしいと彼女に要求した。彼女は、彼の脳の中に信号を送り込むことによって、自身のこれまでの生涯を一瞬のうちに彼に追体験させた。彼は、目の前の婦人がメロクの母であることを信じるとともに、彼女は宇宙を創造した神であり、パテスさえも彼女によって創造された神であるという事実を知った。

ガトモリツはマテナに次のように言った。

「あなたに対する人々の崇敬を批判することはやめてもいいのですが、そのためには条件が一つあります。それは、人間の霊魂の行先が二つあるという現行の制度を改めて、行先を天国に一本化してもらいたいということです。なぜなら、現行の制度は、親子や夫婦や親友が天国と地獄に引き裂かれるという悲劇を生んでいるからです」

マテナは、「パテスとメロクの理解を得るように努力してみましょう」と答えて姿を消した。

マテナは、パテスとメロクに事情を説明し、地獄の廃止に同意してほしいと懇願した。メロクは即座に同意したが、パテスは地獄の必要性について彼女に諄々と説いた。彼女はパテスを説得することは不可能であると判断し、地獄の最奥部に彼を幽閉した。そして地獄に収監されていたすべての人間の霊魂を天国へ移し、巨大な岩で地獄の門を封鎖した。

ガトモリツは、大学の教室で再びマテナと対面した。彼女は封鎖された地獄の門の光景を彼に見せた。彼は、これからは決してマテナ崇敬を批判しないと彼女に確約した。

一年後、ガトモリツは『マテナ崇敬の御利益』という書物を出版した。この書物の中で彼は、地獄は廃止され、人間の霊魂の行先は天国に一本化されたということ、そしてマテナは神であり、彼女は人間たちの祈願に応えて現世における御利益を授けるということを語った。この書物の初刷は瞬くうちに書店の店頭から消えた。版元は初刷の数十倍の部数を増刷した。

ガトモリツの書物が説く教説はカシモス教の正統的な教義から大きく逸脱するものだった。「枢機卿」と呼ばれる最高位の司教たちによる定例の会議において、枢機卿の一人は彼の破門を請求する動議を提出し、それは満場一致で承認された。

ガトモリツは大学教授の職を辞し、「モザリタ教」と称する宗教の布教を開始した。「モザリタ」は母を意味するモルキ語の普通名詞である。彼はマテナの彫像の制作を友人の彫刻家に依頼し、それを自宅に安置した。そしてマテナ像の前に賽銭箱を置き、「モザリタ神殿」という看板を自宅の門に掲げた。彼が出版した『マテナ崇敬の御利益』はモザリタ教の教典となった。この書物を読んで感銘を受けた者たちの多くはモザリタ教の信徒となった。

モザリタを祀る神殿となったガトモリツの自宅には、彼女から御利益を授かりたいと願う多くの人々が参拝に訪れた。神像の前に置かれた賽銭箱は日没後に開かれ、信徒たちが投入した無数の硬貨や紙幣がその中から取り出された。

ガトモリツは多数の彫刻家たちにマテナ像の制作を発注した。賽銭箱から取り出された賽銭は彼らへの報酬となった。彼らが制作した神像は世界の各地にいる敬虔なモザリタ教徒のもとに送られた。神像を受け取った信徒たちは、ある者は自宅を改装することによって、ある者は新たな建物を建設することによって、モザリタを祀る神殿を創建した。彼らは信徒たちが投入した賽銭の一部をガトモリツに上納した。

マテナは、テモビサのみならず、その後も世界の各地に泉を湧出させた。ガトモリツは、それらの泉を中心とする周囲の土地を買い取り、その土地をモザリタ教の聖地として認定した。降誕暦一九〇三年には、テモビサの泉を中心とする土地も彼の所有地となり、その泉のそばに建つカシモス教の会堂も彼の所有物となった。彼はその会堂をマテナを祀る神殿に改装し、著名な彫刻家が制作したマテナ像をその中央に安置した。

マテナは、世界各地の数十箇所に泉を湧出させたのち、休息のために眠りに就くことを望んだ。しかし、彼女からの御利益を求める人々の祈りは、一瞬たりとも途絶えることがなかった。そこで彼女は、自分が眠っている間、自分の代理として人々に御利益を授けてもらいたい、とメロクに依頼した。息子はその依頼を快諾した。

モザリタ教の信徒数の増加は留まるところを知らず、降誕暦一九五六年にガトモリツが天国に召されたのちも、その勢いは衰えることがなかった。それとは対照的に、カシモス教の信徒数は減少の一途をたどった。カシモス教の会堂は、その大半が資金難のために閉鎖を余儀無くされた。閉鎖された会堂の多くはモザリタ教の信徒によって買い取られ、マテナを祀る神殿に改装された。

カシモス教の枢機卿たちは、信徒数の減少に歯止めを掛ける方策について話し合うために円卓を囲んだ。枢機卿の一人は、モザリタ教を排撃する以外に有効な方策はないと力説した。その意見に対して別の枢機卿は、他宗教の排撃はカシモス教のような歴史のある宗教にはふさわしくないと反論した。さらに別の枢機卿は、そのような矜恃は捨て去るべきであると述べて排撃を擁護した。議論は平行線をたどり、採否は多数決によって決定されることとなった。投票の結果は、排撃に対する賛成票が僅差で反対票を上回った。

カシモス教の各地の司教たちは、モザリタ教を排撃する広告を地元の新聞や雑誌に掲載した。それらの広告は、モザリタ教は間違った宗教であり、それを信仰する者は地獄において刑罰を受けることになるであろうと警告していた。さらに司教たちは、マテナが湧出させたとされる各地の泉に通ずる道からよく見える位置に、「死後の裁きを恐れよ」と大書した看板を設置した。

カシモス教の司教たちによるモザリタ教の排撃は、相応の効果をもたらした。減少の一途をたどっていた信徒数は横這いで推移するようになった。枢機卿たちによる定例の会議において、枢機卿の一人は、モザリタ教の排撃は十分な成果を得たのであるから、歴史のある宗教としての矜恃を取り戻すべきであるという動議を提出した。この会議に出席した枢機卿たちのうちのほぼ半数がこの動議に賛成した。賛成する者たちと反対する者たちによる意見の応酬は次第に熱を帯び、怒号が飛び交うに至った。

そのとき、会議室の床と壁と天井が不意に消失した。枢機卿たちの頭上に見えるものは蒼穹のみであり、眼下に見えるものは雲海のみだった。そして彼らが囲んでいる円卓の上には壮年の男性が立っていた。その男性は彼らに次のように語った。

「私はメロクである。私がかつて人間たちに語ったことは、その時点では真実だったが、現在は真実ではない。現在の真実は、ガトモリツが述べたとおりである。そして、私は現在、マテナの代理として人々に御利益を授けるという仕事に従事している。君たちがなすべきことは、モザリタ教を排撃することではなく、モザリタ教に改宗することである」

次の瞬間、メロクの姿は消滅し、床と壁と天井が再び枢機卿たちの周囲に出現した。「私はモザリタ教に改宗する」と枢機卿の一人が発言すると、「私もだ」という発言が次々と沸き起った。

会議の翌日、枢機卿たちは全世界のカシモス教徒に向けて声明を発表した。この声明の中で枢機卿たちは、メロクが出現してモザリタ教の教義を肯定したことを伝え、すべてのカシモス教徒に対してモザリタ教への改宗を呼び掛けた。