[第五十四話]石棺

ミレナという惑星に生命が発生したのは、その惑星の誕生から七億年後のことである。

ミレナに棲息する生物は、細胞と呼ばれる、自己増殖能力を持つ単位から構成される。個々の細胞は、遺伝子と呼ばれる糸状の分子を持つ。この分子には、遺伝情報と呼ばれる、生物の個体の形質を決定する情報が記録されている。細胞が増殖するときには遺伝子も複製され、増殖によってできた細胞に遺伝情報が伝達される。遺伝情報は、生物の個体が生殖によって新しい個体を作るときにも、親から子へ伝達される。

親から子への遺伝情報の伝達は、完全なものではなく、その過程で多少の変異が加わることもある。その変異が環境への適応に有用である場合には、その個体は子孫を残し、有害である場合には、その個体は淘汰される。このようにして、生物の個体の形質は環境に適応したものに徐々に変化していった。また、淘汰されずに生き残る変異には多様性があり、その結果として生物は様々な種に分化した。

人間と呼ばれる種が誕生したのは、ミレナにおける生命の発生から三十七億年後のことである。人間たちは様々な道具を作り出すことによって生活を効率化し、複雑な言語を駆使することによって個体間の意思の疎通を図った。さらに人間たちは、宗教と呼ばれる超自然的な体系を構築し、それを信仰した。大多数の宗教においては、自然現象を自由に操作することのできる超自然的で人格的な存在者が崇拝の対象とされ、そのような存在者は神と呼ばれた。

太古の時代に人間たちが信仰していた宗教は、彼らが住んでいる地域ごとに異なる土俗的なものだった。しかし、地域間の交易路が発達したその後の時代においては、広範な地域に伝播する宗教がいくつも出現した。ムナソビ教と呼ばれる宗教もその一つである。

ムナソビ教は、サクタガラという地域で信仰されていたパリキネ教と呼ばれる土俗的な宗教から派生した宗教である。パリキネ教は、天地を創造したセデムスという神のみを崇拝する宗教である。パリキネ教においては、セデムスは預言者と呼ばれる人間たちにしばしば啓示を下すと考えられた。セデムスが下した啓示は戒律となり、サクタガラの人々はそれらの戒律を守ることが彼に対する崇拝心の表明であると考えた。ムナソビ教は、パリキネ教から継承したセデムスに対する崇拝という教義に加えて、世界の終末において人間たちに対して最後の審判が下されるであろうという教義を持つ宗教である。

ムナソビ教を創始したのはロナムという人物である。彼は自身を、セデムスに命じられてこの世界に降臨したムナソビであると称した。「ムナソビ」という単語は、サクタガラの人々が使う言語において救世主を意味する普通名詞である。彼は、パリキネ教の聖地であるモネステラという都市を見下ろす丘の上に立ち、彼の言葉を聴くために集まった人々に向かって、最後の審判について次のように語った。

「この世界は永遠に続くわけではなく、いつかは終わりの時を迎える。私は、終わりの時に先立ってこの世界に再臨し、すべての死者を復活させ、彼らに審判を下す。生前にセデムスを崇拝していた者は天国に送られ、そうではない者は地獄に送られる。天国に送られた者はそこで安楽に暮らし、地獄に送られた者はそこで責め苦を受ける」

さらにロナムは、最後の審判に先立って起きるという最終戦争について次のように人々に語った。

「最終戦争は、セデムスを崇拝する者たちと彼を崇拝しない者たちとが雌雄を決する戦いである。この戦いはセデムスを崇拝する者たちの勝利によって幕を閉じる。なぜなら、この戦いに先立って、セデムスを崇拝する者たちは無敵の兵士に変貌するからである。彼を崇拝しない者たちは、いかなる武器を使おうとも彼らに傷一つ与えることができないであろう」

ロナムが語る言葉に感銘を受けた者たちは彼の弟子となった。弟子たちはロナムと行動を共にし、最後の審判や最終戦争について彼が語る言葉を記憶に留めた。

サクタガラの統治を預かる総督は、ロナムが語る言説は社会の安寧を乱すものであると判断し、彼を捕縛せよと治安部隊の兵士たちに命じた。ロナムは形式的な裁判によって死罪を宣告された。サクタガラにおける伝統的な死刑の様式は、六角形の処刑台の上での斬首だった。処刑人が振り下ろす斧によって、ロナムの首は胴体から切り離された。遺体を引き取った彼の弟子たちは彼の首と胴体を縫い合わせ、彼の遺体を地下墳墓に安置した。

ロナムが処刑された日の数日後、彼の弟子たちは、生き返った彼と再開した。彼は弟子たちに次のように告げた。「私の生命は永遠に滅びない。この世界の終わりが近づいたとき、私は最後の審判のためにこの世界に再臨するであろう」と。そして彼は弟子たちの前から姿を消した。

ロナムの弟子たちは、礼拝堂と呼ばれる、セデムスに祈りを捧げるための建物をサクタガラの各地に建設した。礼拝堂には多くの人々が集まり、そこでムナソビ教に改宗した人々は、周囲の親しい人々にも礼拝堂に来るように奨めた。ムナソビ教の伝道に生涯を捧げる決意をした人々は、サクタガラから遠く離れた国々に移住し、その地に礼拝堂を建設した。

国民の多くがムナソビ教に改宗した国々の為政者たちは、当初はその宗教を危険なものとみなし、その信徒たちに弾圧を加えた。しかし、やがて為政者たちは、その宗教は国民を統治する上で役に立つということに思い至り、それを国教として公認するようになった。

ムナソビ教を国教とする国々においては、降臨暦と呼ばれる、ロナムが降臨したとされる年を紀元とする紀年法が採用された。また、そのような国々の多くにおいては、聖職者と呼ばれる、礼拝堂における儀式を司る職業の者たちが強い発言力を持つに至り、国王でさえも彼らの意向に異を唱えることが困難であるような状況が生じた。

降臨暦四世紀に、ムナソビ教の聖職者たちは、パリキネ教とムナソビ教に関する無数の文書の中から正統的な教義を記したもののみを選び、それらから構成される聖典を編纂した。その聖典は、神と人間との間の契約に関する書物であるという意味で、「契書」と名付けられた。「契書」の巻末には、最終戦争と最後の審判について語る「終末書」と題する文書が置かれた。

カナテメ教という宗教も、ムナソビ教と同様に、広範な地域に伝播した宗教の一つである。カナテメ教は、降臨暦七世紀初頭にザメタルクという人物によって創始された宗教であり、パリキネ教やムナソビ教と同様に、セデムスという神のみを崇拝する宗教である。ザメタルクはロナムを預言者として認め、さらに自身を最後の預言者と称した。そして自身に下された新たな啓示を人々に伝えた。

カナテメ教の信徒たちは、ザメタルクを指導者とするカナテメ帝国と呼ばれる国家を建国し、武力によってその領土を拡大した。彼の死後も、彼の後継者が信徒たちを指導し、カナテメ帝国の領土は拡大の一途をたどった。

パリキネ教の聖地であり、のちにムナソビ教の聖地ともなったモネステラを統治する者は、様々な国家の栄枯盛衰に伴って何度も交代した。カナテメ帝国もモネステラを幾度か占領したが、それらの時代においても、巡礼のためにモネステラを訪れたパリキネ教徒やムナソビ教徒に迫害が加えられることはなかった。しかし、降臨暦一〇六三年にカナテメ帝国がモネステラを占領したとき、当時の皇帝だったセネロムは、巡礼のために聖地を訪れたパリキネ教徒やムナソビ教徒に迫害を加えた。

降臨暦一〇七二年、ムナソビ教の聖職者たちは、ムナソビ教を国教とする国々の国王たちに対して、聖地を奪回するための軍隊を派遣するように要請した。それらの国々が派遣した軍隊は、ムナソビ教の象徴である六角形を共通の旗印としたことから、六角軍と呼ばれた。六角軍はカナテメ帝国に侵攻し、占領した地域のカナテメ教徒を虐殺した。

ムナソビ教の聖職者たちの権威は六角軍の時代に頂点に達したが、それ以降、彼らの権威は衰退の一途をたどった。ムナソビ教を国教としていた国々では、降臨暦十八世紀から十九世紀にかけて民主化が進行し、君主制は廃止または象徴化された。また、同じ時代に進行した人権思想の普及に伴って、それらの国では政教分離が制度として導入された。その結果として、それらの国の人々のうちでムナソビ教に対する敬虔な信仰を持つ者は減少の一途をたどった。

かつてムナソビ教を国教としていた国々の人々は、神という存在者を仮定しないで自然現象を説明する、自然科学と呼ばれる学問を発達させた。自然科学の発達によって解明された自然現象の原理は、様々な機器の製作に応用された。それらの機器は、製造、移動、通信など、人間の様々な活動をより効率的なものに改善した。

カナテメ帝国は降臨暦二十世紀に滅亡したが、分割されたその領土を継承した国々は、旧帝国の国教だったカナテメ教をも国教として継承した。それらの国の人々は、ムナソビ教を国教とする国々が派遣した六角軍と呼ばれる軍隊がカナテメ教徒を虐殺したことを、二十一世紀に至っても忘れることがなかった。彼らの多くは、かつて六角軍を派遣した国々に対する報復がいまだに実行されていないことを遺憾に思っていた。しかし、六角軍諸国は依然として強大な軍事力を維持し続けており、それらの国々に対する報復は不可能に近い状況だった。

ミテサクナは、滅亡したカナテメ帝国の領土を継承した国々のうちの一国である。この国の東部に位置するマシタバという地域は、ザメタルクが生まれた場所であり、セデムスに対する崇拝心を象徴する神殿を擁する、カナテメ教の最大の聖地である。毎年、巡礼の季節になると、マシタバの神殿はカナテメ教徒たちで大いに賑わった。降臨暦二〇七三年、マシタバの郊外の砂漠に隕石が落下し、巨大な隕石孔を大地に穿った。その数か月後、隕石孔の周囲の土地に植物が芽を出した。それは、いまだかつて誰も見たことのない植物だった。七年後、その植物は花を咲かせ、果実を実らせた。

隕石孔の周囲の植物が果実を実らせたのはマシタバへの巡礼の季節だった。聖地へ向かうために隕石孔のそばを通った信徒たちは、果実が放つ甘い香りに食欲をそそられ、それを枝からもぎ取って口に入れた。しかし、彼らの期待に反してその果実は美味とまでは言い難い味だった。信徒たちは一個の果実のみで満足して旅を続けた。異変が起きたのはその四日後だった。彼らの身体に変化が起きたのである。

隕石孔の周囲の植物に実った果実を食べた信徒たちを診察した医師たちは、彼らの身体に起きた変化について次のように報告した。

「彼らの全身の皮膚は鋼鉄のように硬くなっている。あらゆる筋肉が増強され、さらにその動作の俊敏さも向上している。視覚、聴覚、嗅覚が異様に鋭い。記憶力や知能が以前の数十倍に高まっている。自身の意志によって痛覚を遮断することができる」

その報告を聞いた人々が一様に想起したのは、ムナソビ教の聖典である「契書」の巻末に置かれた文書である「終末書」だった。それは、最終戦争と最後の審判がどのような経過をたどるかということについて語った文書であるが、その中には、最終戦争に先立ってセデムスを崇拝する者たちがそれに変貌するとされている無敵の兵士についての描写も含まれている。隕石孔の周囲の植物に実った果実を食べた人々の身体についての医師たちの報告は、その文書が語る無敵の兵士についての描写と一致するものだった。

ミテサクナの当時の国王だったクベリタルスは、カナテメ教の聖地に無敵の兵士が出現したことを、セデムスからの暗黙の命令と解釈した。すなわち、「かつては六角軍を派遣して敬虔な信仰を持つ信徒たちを虐殺した者たちの国々、そして現在は我に対する崇拝心を失った者たちの国々を、無敵の兵士を派遣して滅ぼすべし」と神はカナテメ教徒たちに命じていると解釈したのである。国王は、隕石孔の周囲の植物からすべての果実を収穫し、それを安全な場所に保管せよと廷臣たちに命じた。そして、六角軍諸国を滅ぼすための軍隊に志願せよという檄を全世界のカナテメ教徒たちに飛ばした。

ベリタルスは、世界の各地から馳せ参じたカナテメ教徒たちに果実を与え、彼らを無敵の兵士に変えた。そして彼らから構成される軍隊を率いて六角軍諸国に侵攻した。突如としてミテサクナからの侵攻を受けた国々は、いかなる兵器によっても倒すことのできない兵士たちによって蹂躙され、次々と降伏していった。クベリタルスは降伏した国々の国民をカナテメ教に強制的に改宗させた。

ガラキナは、六角軍諸国のうちで最も強大な軍事力を持つ国である。その国は他の六角軍諸国とは異なる大陸に位置しており、カナテメ教徒の軍隊は、その国を攻略するために大洋を渡る必要があった。ガラキナは海岸線に沿って軍隊を配置することによってカナテメ教徒の侵攻を水際で食い止めた。しかし、果実を食べた兵士たちによる防衛線の突破は時間の問題だった。

降臨暦二〇八四年、ガラキナの指導者たちに朗報がもたらされた。人間を無敵の兵士にする果実を入手することにガラキナの工作員が成功したという報告を受けたのである。その果実は研究機関に運ばれ、分子生物学者たちによって分析された。その結果、その果実には、人間の遺伝子が持っていた無敵の兵士の遺伝情報を発現させる酵素が含まれているということが判明した。

ガラキナの政府は、人間を無敵の兵士に変える酵素と、無敵の兵士を人間に戻す酵素の製造を自国の製薬会社に大量に発注した。そして、自国の兵士たちを無敵の兵士に変えて最前線に送り込んだ。彼らが持つ銃から発射される銃弾には、無敵の兵士を通常の人間に戻す酵素が充填されていた。それらの銃弾はカナテメ教徒の兵士たちが持つ堅牢な皮膚の表面で破裂し、酵素を飛散させた。酵素は彼らの皮膚に吸収され、それを通常の人間の皮膚に戻した。甲殻を失った兵士たちは銃弾を浴びて次々と戦死していった。ガラキナの軍隊は、クベリタルスが率いる占領軍によって統治されている六角軍諸国に進撃し、それらの国々から占領軍を一掃した。

降臨暦二〇八六年、ロナムはカナテメ教の聖地であるマシタバに降臨した。カナテメ教においても彼は預言者としての権威を認められており、カナテメ教徒たちは彼を歓待した。彼は、セデムスを崇拝する者たちの勝利によって幕を閉じるはずだった最終戦争が、セデムスを崇拝しない者たちの勝利によって幕を閉じるという、当初の計画からの逸脱を修正するために、二度目の最終戦争を起こさなければならないと考えた。なぜなら、最終戦争がセデムスを崇拝する者たちの勝利によって幕を閉じることは、最後の審判を開廷するために必要不可欠な条件だったからである。

ロナムは大量の植物の種子をカナテメ教徒たちに与え、それを砂漠に蒔くように指示した。種子は播種の数日後に発芽し、半年後には、砂漠だった大地を一面の草原に変えた。すると、その周囲の地方から無数の蝗が飛来し、砂漠を覆った植物の葉を食べた。その植物の葉に含まれていた酵素は、その葉を食べた蝗の遺伝子の中で眠っていた遺伝情報を発現させ、それらの蝗を兵器に変えた。

ロナムは、六角軍諸国に住むすべての人間を食い尽せと蝗たちに命じた。六角軍諸国に雲霞のごとく襲来した蝗たちは、人間たちを次々と白骨に変えていった。六角軍諸国の人々は蝗を駆除するためにあらゆる手段を試みたが、それらの試みのうちで功を奏したものは皆無だった。

ガラキナの工作員たちは、蝗を兵器に変える植物を入手するために死力を尽した。多数の工作員が殉職したが、彼らの犠牲は無駄とはならなかった。死闘の果てに植物を入手した工作員はそれをガラキナの研究機関に届けた。研究者たちに残された時間はわずかだった。ガラキナ以外の六角軍諸国の国民はすでにその大多数が白骨となっており、ガラキナにおいても、海に面した都市に対する蝗たちの侵攻が始まりつつあった。

ガラキナの分子生物学者たちは蝗を兵器に変える植物を分析し、それに含まれる酵素の作用を解明した。ガラキナの政府は、兵器となった蝗を本来の形質に戻す酵素の製造を自国の製薬会社に大量に発注した。酵素を積んだ無数の航空機は、海を渡る蝗の大群の上空から酵素を散布した。蝗の大群はガラキナに飛来したが、彼らが襲ったのは人間たちではなく穀類の畑だった。

降臨暦二〇八八年、ガラキナの指導者たちはミテサクナに軍隊を派遣した。ロナムは兵器となった蝗を指揮して応戦したが、上空から散布された酵素によって蝗たちは本来の形質に戻り、ガラキナ軍の進撃を阻止することはできなかった。ガラキナ軍はミテサクナの全土を制圧し、クベリタルスとロナムを拘束した。拘束される直前、ロナムは天を仰ぎ、二千年前のサクタガラで使われていた言語で、「我が神よ、なぜ我を見捨てたまうのか」と叫んだ。

ガラキナ軍はマシタバに軍事法廷を開廷し、クベリタルスとロナムの戦争犯罪について審理した。軍事法廷の裁判官たちは全員一致で二人の被告に死罪の判決を下した。クベリタルスの処刑は判決の翌日にマシタバの刑務所で執行され、遺体は遺族に引き渡された。それに対して、ロナムに対する死刑の執行は留保され、彼は生きたままガラキナの研究施設に送られた。

ロナムが収容された研究施設には、医学、生物学、歴史学、宗教学などを専門とする研究者たちが招喚された。医学や生物学などの自然科学系の研究者たちに対しては、ロナムの身体を分析し、彼に対して死刑を執行した場合に起きることについて調査するという使命が与えられた。そして歴史学や宗教学などの人文科学系の研究者たちに対しては、二千年前にムナソビ教を創始した人物と彼とは同一であるか否かという問題について調査するという使命が与えられた。

自然科学系の研究者たちは、ロナムの身体に対する分析の結果、それが驚異的な自己治癒能力を持つということを見出した。彼の身体は、いかなる外傷を受けたとしても、いかなる疾病に罹患したとしても、手術や投薬を受けることなく自身の治癒能力のみによってそれを完治させることができるのである。医学の研究者たちは、彼の身体はおそらく老化に対してもそれを阻止する能力を持っており、したがって年齢が二千歳を超えているとしても不思議ではないと考えた。

人文科学系の研究者たちは、ロナムに対して様々な質問を試みた。質問は、ムナソビ教が創始された時代にサクタガラで起きた歴史上の出来事について、その時代におけるパリキネ教の教義や祭祀について、ムナソビ教の創始者の弟子たちについてなど、多岐に及んだ。ロナムは、いかなる質問に対しても淀みなく返答した。彼が持つ記憶は、歴史学や宗教学がこれまでに明らかにした事実と細部に至るまで一致していた。のみならず、彼の記憶は研究者たちがそれまで知らなかった事実に至るまでも明らかにした。

降臨暦二〇九二年、自然科学系の研究者たちはロナムの身体についての報告書をガラキナの政府に提出した。その報告書は、ロナムに対する死刑をいかなる手段によって執行したとしても、早ければ数分、遅くとも数十日のうちに彼は蘇生するであろうという結論で結ばれていた。その翌年には、人文科学系の研究者たちも報告書をガラキナの政府に提出した。その報告書は、戦争犯罪の容疑者としてミテサクナで拘束されたロナムと称する人物と、二千年前にムナソビ教を創始した人物とは同一である、という結論で結ばれていた。ガラキナの政府は、ロナムについての調査の続行を研究者たちに命じた。彼らに与えられた新たな使命は、ロナムの身体はいかにして自己治癒能力を獲得するに至ったかということを解明することだった。

自然科学系の研究者たちは、ロナムの身体が外傷や疾病を治癒する過程で、細胞を構成している分子がどのように変化するかということを分析した。そして人文科学系の研究者たちは、彼の身体が自己治癒能力を獲得したと思われる時期に、彼の身にどのようなことが起きたのかということについて、彼に質問した。

ロナムは、人文科学系の研究者たちからの質問に対して次のように答えた。

「私が十四歳のとき、神の御使いと称する者が私を地下墳墓に導き、石棺に入るようにと私に命じた。私が石棺に入ると、彼はその蓋を閉ざした。蓋は一時間ほどが過ぎたのちに開き、私は解放された。私が、怪我をしても病気になってもすぐに治ってしまう体となったのは、それ以降のことだ」

研究者たちは降臨暦一世紀ごろのサクタガラの地図をロナムに見せた。彼はその地図の一点を指差し、御使いが自分を導いた地下墳墓の入口はここだと告げた。さらに彼は地下墳墓の内部の構造を示す立体的な図を描き、自身が入った石棺の位置を示した。

ガラキナの政府は大規模な調査隊をサクタガラに派遣した。ロナムが描いた図は、地下墳墓の実際の構造とほぼ一致していた。調査隊は、彼が入ったと思われる石棺を携えてガラキナから帰還した。

ガラキナの政府は自然科学系の研究者たちに対して石棺の分析を命じた。物理学者たちは石棺を形成している物質について分析した。そして、それは外見的には石のように見えるが、実際には人間にとって未知の製法によって人工的に生成された物質であると報告した。生物学者たちは石棺が動物に与える効果について分析した。そして、動物を石棺に入れて蓋を閉ざし、五十二分以上経過したのちに石棺から出すと、その動物は自己治癒能力を獲得していると報告した。降臨暦二〇九八年からは人間を被験者とする実験も開始され、被験者となった人間は例外なく自己治癒能力を獲得した。

研究者たちは石棺が動物に与える物理的な作用について分析し、その作用を再現する装置の製作を試みた。しかし、石棺がその内部の空間に向けて発する作用は五十二分間のうちに高速で変化し、しかもその変化は個々の動物ごとに異なるものだったため、装置の製作は困難を極めた。

石棺の作用を再現する装置の試作機が完成したのは降臨暦二一一六年のことだった。その試作機は石棺と同様に動物に対して自己治癒能力を付与することができたが、そのために要する時間は八時間二十三分だった。工学系の研究者たちは、自己治癒能力を動物に付与するために要する時間を短縮することに心血を注いだ。その結果、その時間は六年後には七十七分にまで短縮された。

医療機器を製造する世界各国の企業は、自己治癒能力を動物に付与する装置の大量生産を開始した。世界各国の医療機関はその装置を導入し、自己治癒能力の獲得を希望する人々に対してそれを付与した。

降臨暦二一二九年、自己治癒能力をロナムに付与した石棺を保管および展示することを目的とする博物館がサクタガラに設立された。そしてロナムは、この博物館の館長として余生を送ることとなった。