[第五十九話]追放

神は空間を創造した。次に神は様々な物体を創造し、その空間の中に置いた。

さらに神は、様々な種類の生物を創造し、空間の中にそれらを棲まわせた。神が創造した生物の種類の一つは、他の種類の生物とは比較にならないほど高い知能を持つものだった。その種類の生物たちは、神が創造した様々なものに名前を与えた。彼らは自分たちにも「人間」という名前を与えた。

人間たちは、生物がその上で生息している水平な平面を「大地」と呼んだ。大地は正方形であり、それは四方に垂直に立つ白色の平面の壁によって囲まれていた。壁の高さは大地の一辺の長さと同じであり、壁の上には白色の平面の天井が水平に載せられていた。すなわち、生物たちは立方体の空間の中で暮らしていたのである。人間たちは、自分たちが暮らしている立方体の一辺の長さの百分の一を「里」と呼び、一里の一万分の一を「尺」と呼んで、それらを長さの単位として使用した。

人間たちは、大地と壁と天井に囲まれた立方体の空間に閉じ込められていた。大地と壁と天井の外にも何かがあるのではないかと考える人間は、ほとんどいなかった。人間たちは、大地と壁と天井、そしてそれらに囲まれた空間の内部に存在するものの全体を「世界」と呼んだ。

大地には、人間たちが「太陽」と呼ぶ球体が発する熱と光が降り注いでいた。太陽は、壁の一つと天井が交わってできる線分の中央の付近に出現し、反対側の壁に向かって移動し、壁に到達する直前に消滅する、ということを繰り返した。人間たちは、太陽が出現する壁の方向を「東」、消滅する壁の方向を「西」、東に向かって右の方向を「南」、左の方向を「北」と呼んだ。

太陽は、それが消滅した直後に出現するのではなく、それが存在している時間とほぼ同じ時間が経過したのちに出現した。人間たちは、太陽が存在している時間を「昼」と呼び、存在していない時間を「夜」と呼んだ。太陽が出現する周期は常に一定であり、人間たちはその周期を「日」と呼んで、それを時間の長さの単位として使用した。

一日の長さは常に一定だったが、昼と夜の長さは一日ごとに増減した。人間たちは、昼の長さが長くなって昼と夜の長さが同じになる日を「春分」、昼の長さが極大に達する日を「夏至」、昼の長さが短くなって昼と夜の長さが同じになる日を「秋分」、夜の長さが極大に達する日を「冬至」と呼んだ。昼と夜の長さが変化する周期は、常に三百三十三日だった。人間たちは、その周期を「年」と呼んで、それを時間の長さの単位として使用した。

人間たちは、神の姿を見ることはできなかったが、彼の声を聞くことはできた。神は人間たちに様々な戒律を授けた。人間たちはその戒律によって禁止されたことを除いて、自由に行動することを許されていた。

人間たちはすべての生物を、類似性に基づいて階層的に分類した。彼らが作った生物の分類項目のうちで最も上位の階層にあるものは、栄養源の差異に基づくものだった。彼らは、無生物を栄養源とする生物を「植物」と呼び、植物を栄養源とする生物を「動物」と呼んだ。動物に分類される生物は、その中に人間を含んでいた。

植物は、根、幹、枝、茎、葉、花などの部位から構成されていた。動物たちは、植物の種類ごとにそれらの部位のいずれかを栄養源として利用した。また、一部の種類の植物は一年ごとに果実を実らせた。それらの果実もまた、多くの動物にとって主要な栄養源となった。人間たちもその例外ではなかった。

人間たちが「桃」と呼ぶ植物は、夏至のころに果実を実らせる。果実を栄養源とする動物たちの多くは、他の植物の果実と同様に、桃の果実をも栄養源として利用した。しかし、人間のみはそれを食べなかった。その理由は、神が人間たちに授けた戒律が、桃の果実を食べることを禁止していたからである。

いかなる生物の個体も、永遠に生き続けることはできず、種類ごとに定められた寿命に達した時点で生命活動を停止した。人間についても、九十年前後という寿命が定められていた。生物の個体は、自身と同じ種類の新たな個体を作り出す能力を持っていた。人間たちは、この能力を生物が使用することを「生殖」と呼んだ。いかなる生物の種類も、生殖が新たな個体を作り出すことによって、個体の寿命を超えて存在し続けた。

世界が創造された当初は、すべての人間が、戒律を守ることの重要性について語る神の声を聞くことができた。しかし、世界の創造から千年が過ぎたころから、神の声を聞くことができない人間が生まれてくるようになり、その比率は年を追うごとに増加していった。そして、世界の創造から二千年が過ぎたころには、神の声を聞くことができる人間が生まれてくる頻度は、百人に一人という比率にまで減少した。人間たちは、神の声を聞くことができる特殊な人間たちを「預言者」と呼んだ。

神の声を聞く能力をほとんどの人間たちが失ったことは、彼から授けられた戒律を軽視する風潮を生んだ。人間たちは自分たちで法律を制定し、それに違反した者たちを自分たちで処罰した。神から授けられた戒律の大多数は人間たちが制定した法律の中に反映されていたが、そうではない条項もあった。桃の果実を食べてはならないという条項も、人間たちが制定した法律には反映されていないものの一つだった。

桃を食べてみようと思った人間たちは、最初は夜陰に乗じてそれを実行したが、それに対していかなる天罰も下されないということを知ると、白昼堂々とそれを実行するようになった。神から授けられた戒律を破る不届き者たちに対して、預言者たちは強い言葉で警告を発した。しかし、桃を食べる者たちの数は増加する一方だった。

神は人間たちの行動を寛大に見守っていた。しかし、桃を食べる人間たちの比率が人口の三割を超えるに及んで、彼らに天罰を下すことを決断した。彼が選定した天罰は、人間たちが「世界」と呼ぶ立方体の空間からの追放だった。

人間たちが「世界」と呼んでいた立方体の空間とその内部にあるものは、神が創造したものの一部分に過ぎなかった。神は、人間たちを追放するための隧道を東の壁に出現させた。その隧道は、断面の直径が十尺、長さが一里の円筒形だった。そしてその入口は、大地に接する高さにあり、南の壁からも北の壁からも等しい距離にあった。神は、すべての人間がその隧道を通過したことを見届けたのち、その隧道を消滅させた。

隧道を通過した人間たちが見たものは、追放される以前に住んでいた世界と同じ形状と大きさを持つ大地と壁と天井だった。そして、その世界にも太陽があり、昼と夜の区別を作っていた。しかし、その第二の世界は、人間たちがかつて住んでいた世界とまったく同じというわけではなかった。第二の世界には、動物を栄養源として利用する生物が棲息していたのである。人間たちは、植物のみを栄養源とする生物を「草食動物」と呼び、動物のみを栄養源として利用する生物を「肉食動物」と呼び、植物と動物の両方を栄養源として利用する生物を「雑食動物」と呼んだ。

肉食動物たちは、敏捷な動作で他の動物を捕獲し、その獲物の肉を貪った。いくつかの獰猛な種類の肉食動物たちは、隧道から新たに出現した種類の動物をも自身の栄養源とみなした。人間たちは、一人また一人と肉食動物の餌食となっていった。人間たちは、自分たちに与えられた第二の世界が自分たちの安住の地ではないということを知った。

第二の世界には、北の壁と南の壁のそれぞれに扉が存在していた。それらの扉は、神が預言者に授けた呪文を唱えることによって開閉することができた。それらの扉の奥にあったものは、いずれも隧道だった。それらの隧道は、人間たちが追放されたときに通過したものと同様に、断面の直径が十尺、長さが一里の円筒形だった。そしてそれらの隧道の末端にも、呪文によって開閉することのできる扉があった。人間たちは調査隊を派遣して、それぞれの隧道の先に何があるかということを調査した。その結果、それぞれの隧道の先には、人間たちが知っている二つの世界とまったく同じ大きさを持つ立方体の空間があるということが判明した。

人間たちは、肉食動物によって絶滅させられることを回避するために、隧道を抜けて第三の世界に移住するという決断を下した。彼らは卜占によって北の隧道を選び、その先にある立方体の空間を第三の世界とした。第三の世界には獰猛な肉食動物は棲息していなかった。しかし人間たちは、その世界もまた自分たちの安住の地ではないということを知ることとなった。

第三の世界の中央には火山があり、常に噴煙を上げていた。移住の四十日後、その火山は大規模な噴火を起こした。噴石や火砕流による犠牲者は人口の一割に及んだ。その後も、五十日から百日の周期で大規模な噴火が発生し、その度に多数の犠牲者が出た。

第三の世界には、肉食動物が棲息している第二の世界に通じている南の壁の扉のみではなく、天井にも扉が存在していた。天井の扉は西の壁に接しており、南の壁からも北の壁からも等しい距離にあった。天井と大地との間には昇降機が設置されていた。その昇降機は、神が預言者に授けた呪文を唱えることによって操作することができた。天井の扉の上には長さが一里の縦穴があり、その縦穴の上端にも扉があった。縦穴の下端の扉は、昇降機の通過に伴って自動的に開閉した。

人間たちは、火山の噴火によって絶滅させられることを回避するために、昇降機を使って第四の世界に移住した。彼らは、第四の世界が第一の世界と同様の楽園であることを願ったが、その願いは叶えられなかった。第四の世界は、夏至の前後の時期には夜がなく、冬至の前後の時期には昼がなかった。その世界の生物はそのような環境に適応していたが、人間はそうではなかった。夜が続く時期には著しく気温が下がり、多くの人間が凍死した。昼が続く時期には大地は乾燥し、飲料水は枯渇した。

第四の世界には、東西南北のいずれの壁にも扉は存在していなかった。そして天井にも扉は存在していなかった。第四の世界とそれ以外の世界との間の通路は、その大地に穿たれた縦穴のみだった。すなわち、第二の世界に存在する北の隧道から到達することのできる二つの世界は、袋小路を構成していたのである。居住に適した世界を探求する人間たちの旅は、第二の世界への後戻りを余儀無くされた。

第二の世界に引き返した人間たちは、南の壁に存在する隧道を抜けて第五の世界へ移動した。しかし、その世界もまた人間たちにとって安住の地ではなかった。第五の世界には、その北の壁と西の壁に扉が存在し、さらに大地にも扉が存在していた。人間たちは卜占によって大地の扉を選び、その扉の下に設置された昇降機を操作し、第六の世界の大地に降り立った。

人間たちは、世界から世界へ何度も移動するうちに、しだいに、大地と壁と天井に囲まれた立方体の空間とその内部にあるものを「世界」とは呼ばなくなっていった。彼らがそれまで「世界」と呼んでいたものを呼ぶ新たな言葉は「区画」だった。そして、「世界」という言葉は、多数の区画が三次元的に整然と並んで構成されている構造物の全体という新たな意味で使われるようになっていった。

人間たちは、あるときは壁の隧道を抜け、あるときは天井へ昇り、あるときは大地の下へ降ることによって、安住の地を求めて区画から区画へ移動していった。彼らがいかなる道を選んだとしても、それには必ず行き止まりが存在していた。行き止まりに到達した場合は、最後の分岐点、すなわち未知の区画に通じている扉を持つ最も近い分岐点まで、後戻りしなければならなかった。行き止まりから最後の分岐点までの区画の個数は、一区画のみの場合もあれば、三十区画を超える場合もあった。最後の分岐点までの区画の個数が極めて多い場合、そこへ向かって後戻りする人間たちの心は、失意と落胆に打ちひしがれていた。

人間たちが通過したそれぞれの区画が持つ環境の過酷さには、程度の差があった。過酷さの程度が低い区画では、人間たちはその環境の中で苦労して子供を育て、人口を増加させた。しかし、過酷さの程度が高い区画では、子供を作ることができる年齢まで生き延びる者たちの数は、死亡する者たちの数に届かなかった。過酷さの程度が極めて高い区画では、次の区画へ一直線に移動する間に大多数の人間が死亡し、人口は数十人にまで減少した。

預言者が生まれてくる頻度は、人間たちが第一の区画から追放されたのちも減少の一途をたどった。そして追放から五百年が過ぎたころには、その頻度は千人に一人という比率にまで減少した。預言者が生まれてきた場合、人間たちは彼または彼女に対して、自分たちの罪が許されて第一の区画に帰還することを許される日が、いつかは自分たちに訪れるのかと尋ねた。その質問に対する彼または彼女の回答は、常に次のようなものだった。

「神は、桃を食べた人間たちの罪を永遠に許さないであろう。第一の区画はこれから先も、いかなる隧道も縦穴も持たない閉ざされた空間であり続け、人間がそこへ帰還することができる見込みは、まったく存在しない。しかし、この世界のどこかには、第一の区画ほどの楽園ではないものの、ほとんどすべての人間が天寿を全うすることのできる環境を持つ区画が存在している。もしも、その区画が人間たちによって発見されたならば、苦難に満ちた我々の旅は終わりを告げ、神から授けられた戒律を我々が再び破ることがない限り、我々はその区画に永遠に留まり続けることができるであろう」

預言者が生まれてくる頻度はその後も減少の一途をたどり、追放から二千年が過ぎたころには、その頻度は一万人に一人という比率にまで減少した。どの預言者についても、彼または彼女が伝える神の言葉は、以前の預言者が伝えたものと同工異曲だった。しかし、追放の二千三百八十七年後に生まれたバムセナという預言者は、彼女以前の預言者とは大幅に異なる神の言葉を伝えた。彼女は人々に次のように語ったのである。

「追放の三千年後に、神の子が人間として生まれてくる。その者の目的は、桃を食べた人間たちの罪を一身に背負って処刑されることによって、その罪を贖うことである。したがって、その者が生まれてきた場合には、人間たちは、何らかの世俗の法律によって彼または彼女を裁き、有罪の判決を下し、そして処刑しなければならない」

人間たちは、自分たちの罪を贖うとバムセナが語る神の子を「救世主」と呼んだ。追放の二千七百三十七年後に生まれたキナリコスという預言者は、「救世主は、追放から三千年が過ぎたのちに最初に訪れる春分から、その次に訪れる春分までの一年間のうちに生まれてくるであろう」という神の言葉を伝えた。

キナリコスが伝えた言葉の中で指定されていた、春分から春分までの一年間に生まれた子供の数は、二百七十六人だった。それらの子供たちのうちで、明らかに普通の子供とは異なる特徴を持つ者は、誰もいなかった。人間たちは、彼らのうちの誰が救世主なのかということを見定めるために、彼らを注意深く見守った。

救世主となるであろう子供を含む子供たちが生まれた年の三十年後、三十歳を迎えた彼らのうちの一人が、人間たちの耳目を集めた。その一人というのは、ダマダカという名前の女性だった。彼女が耳目を集めた理由は、彼女が様々な奇跡を起こしたからである。彼女は、病気に苦しむ者たちに癒しを与え、貧困に喘ぐ者たちのために石を果実に変え、政治的な迫害を受けている者たちに対して自身を不可視にする術を授けた。人間たちは、彼女こそが救世主に違いないと思った。

人間たちは、死罪に相当する違法行為をダマダカが実行することを、期待を込めて待ち続けた。しかし、彼女が実行するあらゆる行為は、世俗法を完璧に遵守していた。人間たちのうちで司法に携わる者たちは、鳩首凝議し、世俗法によって彼女を裁くためには何らかの無実の罪を彼女に着せる必要がある、という意見で一致した。

ある日、治安の維持に携わる人間たちのうちの二人がダマダカのもとを訪れた。その二人は問答無用で彼女の身柄を拘束した。彼女にかけられた嫌疑は、「現在の政権を転覆させ、自身を人間たちの王にすべく蜂起せよ」と人間たちを煽動した、というものだった。彼女を裁く裁判が開廷され、捏造された無数の証拠物件が提出された。そして有罪の判決が下され、彼女は刑場の露と消えた。

ダマダカが処刑されたのち、人間たちの中に、預言者たちが伝えた神の言葉は成就したのか否かということをめぐる三つの派閥が成立した。派閥の一つは「帰還派」と呼ばれた。彼らは、ダマダカの処刑によって、桃を食べた罪が贖われたのであるから、自分たちは第一の区画に帰還することができるはずだ、と主張した。派閥の別の一つは「継続派」と呼ばれた。彼らは、自分たちの罪は確かに贖われたのであるが、それは第一の区画に帰還することができるということを意味するわけではなく、天寿を全うすることのできる区画を探索する自分たちの旅はこれからも続くのだ、と主張した。派閥のさらに別の一つは「懐疑派」と呼ばれた。彼らは、ダマダカが本当に救世主だったという確証はどこにもなく、したがって自分たちの罪が本当に贖われたのか否かは定かではない、と主張した。

帰還派の人々の比率は、人口の一割に満たなかった。彼らは、神は第一の区画と第二の区間との間に再び隧道を出現させたに違いなく、すべての人間は今すぐその隧道を抜けて第一の区間に帰還するべきだと主張した。しかし、帰還派の主張は、それ以外の派閥の人々からの支持を得ることができなかった。なぜなら、もしも第一の区画と第二の区間との間に隧道が存在しなかったならば、そこへ戻るために費やした時間が無駄になってしまうと大多数の人々が危惧したからである。

継続派は、ダマダカの処刑の直後には圧倒的な多数派だったが、それを支持する者たちの比率は徐々に減少していった。なぜなら、キナリコス以来、一人の預言者も生まれてくることがなく、したがって人間たちは、自分たちの罪が本当に贖われたのかどうかを確かめる術を持たなかったからである。結局、ダマダカの誕生から二百年が過ぎたころには、人間たちの多数を占める派閥は懐疑派となっていた。

ダマダカの処刑をめぐる派閥の勢力図は、彼女の誕生から三百年が過ぎた時代に、再び大きく変化することとなった。その変化の原因となったのは、人間が消失する現象の頻繁な発生だった。その現象を人間たちは「携挙」と呼んだ。携挙は常に、「ここから去るべきときは今なり」という声が聞こえたのちに発生した。その声が聞こえると、その声が届いた範囲内にいた人間たちのうちの一人が消失するのである。

携挙によって消失した人間は、残された人間たちのもとには決して戻って来なかった。したがって、消失した人間は、単に消失したのみなのか、それとも別の場所へ移動したのかということは、残された人間たちには分からなかった。携挙は、誰にでも起きる可能性のある現象ではなく、特定の条件を満足する人間のみに限定された現象だった。その条件というのは、年齢が十八歳を超えているということ、そして極めて純真に帰還派の信条を信奉しているということだった。

一部の人間たち、特に帰還派の人間たちは、携挙によって消失した人間は第一の区画に帰還したのであると主張した。この主張は、帰還派以外の派閥の主張を信奉していた人間たちにも、説得力があるものとして受け止められた。その結果、帰還派以外の派閥の主張を信奉していた者たちの一部は、第一の区画に戻りたい一心で、自身の派閥から帰還派に転向した。しかし、彼らのような人間たちは、決して携挙の対象とはならなかった。携挙の対象となるのは、帰還派以外の派閥の主張には一度たりとも賛同しなかった者たちに限定されていた。

ダマダカの誕生から四百八十一年後に生まれたマリキヌマという女性は、ともに帰還派である両親のもとに生まれ、帰還派以外の派閥にはまったく感化されることなく成長した。そして彼女は、二十二歳になった年に結婚した。彼女が選んだ伴侶は、彼女と同様に帰還派の信条を純真に信奉していた。結婚の三年後には息子が誕生し、その二年後には娘が誕生した。彼女と彼女の伴侶は、自分たちの息子と娘にも帰還派の信条を信奉してほしいと願った。彼女の両親は彼女が三十一歳になった年に携挙によって消失したが、彼女は彼らが第一の区画へ帰還したと信じて疑わなかった。

マリキヌマは、五十四歳になった年のある日、「ここから去るべきときは今なり」という声を聞いた。次の瞬間、それまで彼女の視界の中にあったものは、まったく別のものに変化した。彼女は草原の中にある小高い丘の上に立っていた。彼女の眼前には、一人の老婆と一人の老爺の姿があった。そして彼女の周囲には、彼女よりも先に携挙によって消失した彼女の友人たちがいた。彼女は、自分の前にいる老婆と老爺が自分の両親であることに気づいた。両親と友人たちは彼女との再会の喜びを彼女に口々に語った。

マリキヌマの両親は自分たちが暮らしている住居へ彼女を案内した。その住居へ向かって歩きながら、彼女は激しい違和感に襲われた。その違和感は、彼女の両親や友人たちも、携挙の直後に味わったものだった。それは、自分がいかなる壁にも天井にも囲まれていないということに起因するものだった。大地の上に広がっているのは、壁でも天井でもなく、青い色の何かだった。彼女と並んで歩いていた、彼女の親友の一人であるニケルツカという女性は、携挙によって人間が送り込まれる場所について、次のように彼女に説明した。

「私たちが立っているこの大地は球体なの。この大地の周囲には、無限と言っていいほどの広さを持つ空間が広がっていて、私たちはその空間を宇宙と呼んでいる。宇宙には様々な種類の物体が無数に存在していて、私たちはそれらの物体を天体と呼んでいる。この大地に降り注いでいる熱と光は、私たちが太陽と呼んでいる物体から放出されている。太陽という物体も天体の一つで、自身が光を発する太陽のような天体を、私たちは恒星と呼んでいる。恒星の周囲には、自分では光を出さない天体がいくつも存在している。私たちは、自分では光を出さない天体のうちで、恒星の周囲を巡る楕円形の軌道を運行しているものを惑星と呼んでいる。この大地も太陽の周囲を巡っている惑星の一つなの。昼と夜は惑星の回転に伴って繰り返される。私たちは、この惑星が一回転する周期を一日、この惑星が太陽の周囲を一周する周期を一年と呼んでいる。今は昼だから、この惑星の表面から太陽以外の天体を見ることはできないけれど、夜になれば、太陽以外の無数の恒星とか、太陽の周囲を巡る軌道を運行している惑星のうちのいくつかを見ることができる」

人間が携挙ののちに到達する場所が第一の区画ではないという事実は、マリキヌマに衝撃を与えた。彼女は、この惑星は第一の区画のような楽園なのかとニケルツカに尋ねた。その質問に対して親友は次のように答えた。

「残念だけど、ここは第一の区画ほどの楽園ではない。食べるものを手に入れるためには、畑を耕したり、種を蒔いたり、害虫を駆除したりとか、たくさんの労働をしないといけない。でもここには、人間を食べようとする肉食動物もいないし、頻繁に噴火する火山もないし、気温の変化もそれほど大きくはないし、それら以外にも、人間にとって危険なものは何もないから、たいていの人間は寿命を全うできる」

マリキヌマの両親の住居では、すでに彼女の歓迎会の準備が整っていた。この惑星の人間たちは、これまでの経験から、いつ誰がどこに出現するかということをかなり正確に予測することができるのだった。祝宴は、日没が訪れたのちも果てしなく続いた。窓の外が闇に包まれたことに気づいたニケルツカは、歓迎会の主役を住居の外へ連れ出し、彼女に夜空を見せた。マリキヌマが見た光景は、生まれてからの五十四年間のうちに見た光景のうちで最も美しいものだった。

ニケルツカはマリキヌマに次のように語った。

「光っている点の一つ一つが天体なの。ほとんどすべては太陽よりも遠くにある恒星だけど、私たちの大地と同じように太陽の周囲を巡っている惑星のうちのいくつかも見える」

ニケルツカは、一際明るい一つの天体を指差して、次のように語った。

「あの天体を私たちは故郷と呼んでいる。故郷は、自分では光を出さなくて、太陽の周囲を巡っているから、惑星に分類されている。でも、形状に関しては、故郷とそれ以外の惑星とではまったく違っている。故郷以外の惑星の形状は、私たちの大地と同じように球体だけれど、故郷の形状は立方体なの。この惑星の人間たちは、故郷の内部には立方体の区画が無数にあって、それらの区画のうちのどれかに、まだ携挙が起きていない人間たちがいるのだという仮説を立てている」