[第四十話]軸

バルモニスという惑星で発生した人類は、高度な科学を発達させた。彼らは時速一万光年を超える速度で航行する宇宙船を駆使して周辺の銀河を次々と植民地化していった。それらの銀河に棲むあらゆる生命体は彼らの支配下に置かれた。

開拓暦三六四一年にバルモニスで開かれた天文学会の大会において、ネクガルム大学のマテリカムクは、空間縮退が発生する前兆を観測したと発表した。会場は騒然となり、発表後の質疑応答では質問が矢継ぎ早に発せられた。天文学者の一人は、その現象はいつ発生するのかと質問した。その質問に対してマテリカムクは、あくまで予測にすぎないと前置きした上で、約二十年後という数字を示した。

空間縮退とは、あたかも紙が折り畳まれるかのように空間が折りたたまれる現象のことである。その現象が発生すると、宇宙は崩壊し、あらゆる生命体は死滅すると考えられている。天文学者たちの研究によって、宇宙はこれまでに何度も空間縮退の危機を乗り越えてきたという事実が明らかにされていた。その度に宇宙を崩壊から救ったのは、高度な知性を持つ何らかの生命体だった。しかし、バルモニスの人類はいまだかつて、過去に宇宙を救った生命体の種族には遭遇したことがなかった。空間縮退の発生を食い止めるためには、バルモニスの人類が持つ科学よりも遥かに発達した科学が必要だったが、彼らがこれまでに遭遇したいかなる生命体も、科学の発達は彼らよりも遅れていた。

宇宙生物学においては、過去に空間縮退から宇宙を救った生命体の種族はすでに絶滅しているということが定説となっていた。バルモニスの科学者たちは、次回の空間縮退から宇宙を救うのはバルモニスの人類に課せられた使命であろうと考えた。二十年という期間の中で、空間縮退の発生を食い止めることができるまでに科学を発達させるということは、ほとんど不可能に近いと思われたが、バルモニスの科学者たちは、あらゆる生命体を死滅から救うため、不眠不休で研究を進めた。

空間縮退の発生を食い止めるために行動を起こさなければならないと考えた者は、科学者のみではなかった。古典文学の研究者であるスミナリマもまた、行動を起こす必要性を感じた一人だった。彼女は、自身が研究の対象としている古代の文献の中に、空間縮退の危機から宇宙を救うための解決策が記されているのではないかと考えたのである。

『始原記』は、開拓暦紀元前三世紀ごろに成立したと推定される歴史書である。その第一巻から第三巻までには、バルモニスの各地に伝わる神話が収録されており、それらの三巻は「神代篇」と呼ばれる。スミナリマが着目したのは、神代篇の中でしばしば言及されるトクタピと呼ばれる施設だった。

トクタピに言及する記述は神代篇の七箇所にある。それらのうちで最初のものは、トクタピの創設に関する次のような記述である。

「このようにして神々は無限に広がる空間と無数の星々を創造した。神々が創造した空間はきわめて不安定であり、それはしばしば自らを消滅させようとする運動に身を任せた。神々は、空間の崩壊から世界を守るため、世界の軸が交わる場所にトクタピを創設し、空間の扱いに長けた眷属たちをそこに常駐させた」

言及の二箇所目から五箇所目までは、トクタピに常駐する眷属たちが空間を修復する記述であり、六箇所目は、神々が世界を放棄する方針を採択し、世界の中で発生したモレカ人と呼ばれる知性を持つ種族にトクタピの管理を委託したという記述である。そして最後の言及は、モレカ人が疫病によって絶滅したためにトクタピを運用する者が不在となったという記述である。

『始原記』に記されたトクタピに関する記述は事実を反映したものに違いないとスミナリマは考えた。そして、トクタピが存在するとされる「世界の軸が交わる場所」がどこなのかということを究明するため、『始原記』の本文を仔細に分析した。その結果、その場所は二六三九八という目録番号の銀河の内部にあるという結論に到達した。彼女はトクタピの位置に関する論文を書き、古典文学会の論文誌にそれを投稿した。そして、自身の論文が掲載された論文誌の抜刷を添付して、トクタピを捜索する調査隊を二六三九八に派遣することを要請する書簡を空間縮退の研究者たちに送付した。

スミナリマからの書簡を受け取った研究者たちは彼女の要請を一笑に付した。なぜなら、『始原記』の神代篇の内容は神話であって史実ではないということは常識であり、トクタピが実在するという荒唐無稽な主張は、科学者としては受け入れ難いものだったからである。また、二六三九八は最新鋭の宇宙船で片道三年の距離にあり、そこを調査するために六年以上の時間を費やすことは、ただでさえ時間が不足している空間縮退の研究者たちにとって途方もない時間の浪費であると思われた。

クダゲムスは、若くして人工臓器を製造する会社を創業して巨万の富を築いた実業家だったが、壮年を迎える前に会社を後継者に委ね、悠々自適の生活を送っていた。彼は、彼の友人の一人で空間縮退の研究に携わる者から、スミナリマが研究者たちに送付した書簡の話を聞き、彼女の研究に興味を覚えた。翌日、彼は彼女が勤務する大学の研究室を訪ね、トクタピは本当に実在するのかと単刀直入に彼女に尋ねた。

スミナリマは、神代篇の記述と天文学的な観測の結果との間にある数々の符合が、神代篇は神話ではなく歴史であり、トクタピは実在する施設であるということを物語っていると力説した。彼女の熱弁はトクタピの実在性をクダゲムスに確信させるに足るものだった。

クダゲムスは宇宙船を二六三九八まで飛ばしてトクタピを探索する計画を立てた。そして、この調査への同行をスミナリマに依頼した。彼女はその依頼を快諾した。

クダゲムスは最新鋭の宇宙船を購入し、それをキプリサ号と名付けた。「キプリサ」とは、トクタピに常駐していた眷属たちのうちで最も顕著な働きをした者の名前である。開拓暦三六四三年、キプリサ号は、クダゲムスとスミナリマを含む十七名の乗員を乗せ、二六三九八を目指してバルモニスの大地から飛び立った。

キプリサ号は開拓暦三六四六年に二六三九八に到達した。乗員たちが最初に着手したのはモレカ人の遺跡の捜索だった。スミナリマは、神代篇に含まれるモレカ人についての記述から、彼らが発生した惑星はトクタピと同じ銀河に存在すると推測したのである。彼女の推測が正しかったことが証明されるまでに要した時間は、きわめてわずかだった。生命体の居住に適した環境を持つ惑星には、ほとんど例外なくモレカ人の遺跡が存在していたのである。

モレカ人の遺跡には数多くの文字資料が残されていた。キプリサ号の乗員たちはそれらの文字資料を撮影してバルモニスに送信した。多くの言語学者がそれらの資料の分析に協力を申し出た。それらの資料で使用されている言語の文法と語彙は彼らの働きによって徐々に解明されていった。文字資料の分析の開始から半年後には、モレカ人の言語でトクタピを意味する単語が特定されるに至った。

スミナリマはトクタピを意味する単語を含む文字資料を読み漁った。それらの資料の多くは、トクタピに勤務する職員たちが空間縮退の危機を乗り越えるためにいかに奮闘したかということを語っていた。トクタピの位置について記述している資料を発見することはできなかったが、それが持つ特異な形状に言及している資料は少なくなかった。

トクタピは同じ大きさの七個の立方体を組み合わせた形状を持っている。中心に一個の立方体があり、そのそれぞれの面に一個の立方体が隣接しているのである。その形状は、トクタピが「世界の軸が交わる場所」にあるという事実と密接な関連を持つものである。神々が定めた世界の三本の軸は、連続する三個の立方体の中心を通り、中央の立方体の中心で交わっているのである。

キプリサ号の乗員たちはトクタピの形状を手掛りにして二六三九八の内部を隈なく捜索した。キプリサ号に搭載された望遠鏡がトクタピらしき物体を捉えたのは、その形状の判明から二年後のことだった。キプリサ号は望遠鏡が向いている方向へ移動し、立方体を組み合わせた巨大な建造物に接岸した。

キプリサ号の乗員たちはトクタピの内部を探検し、その構造を詳細に調査した。その調査の結果は即座にバルモニスに送られた。バルモニスの科学者たちはその調査結果を分析し、トクタピが動作する原理とその操作方法を解明した。彼らは、通信設備をトクタピに接続することをキプリサ号の乗員たちに要請した。それは、バルモニスからトクタピを遠隔操作することができるようにするためだった。バルモニスの科学者たちは、トクタピを遠隔操作することによって空間縮退の発生を食い止め、宇宙のすべての生物を絶滅から救った。

バルモニスへ帰還するキプリサ号の中で、スミナリマはクダゲムスに、トクタピと同様に第一の門もまた実在するに違いないと力説した。『始原記』の神代篇には、「第一の門」と呼ばれる建造物への言及が二十三箇所にある。それは、世界を創造した神々が世界の外と中をつなぐ出入口として建造した施設である。

キプリサ号は開拓暦三六五三年にバルモニスに帰還した。その宇宙船の十七名の乗員は、宇宙を救った英雄として歓待を受けた。スミナリマが勤務する大学の研究室には、彼女に講演を依頼する手紙が山のように積まれた。しかし、講演を依頼した人々が彼女から受け取った手紙に記されていたのは、期待に応えることができず申し訳ないという謝罪の言葉だった。

開拓暦三六五四年、キプリサ号は再びバルモニスの大地から飛び立った。