[第四十七話]台座

サグネブという神は、宇宙を創造し、そののち長い眠りに就いた。

眠りから覚めたサグネブは、自身が創造した宇宙を検分した。その宇宙は数百億個の銀河から構成されており、個々の銀河は数千億個の恒星から構成されていた。恒星の多くは、それを中心として公転する何個かの惑星を従えていた。ほとんどの惑星は、生物が存在しない荒涼とした世界だったが、恵まれた環境を持つ一部の惑星では生物が棲息していた。

生物が棲息している惑星のうちの一部のものにおいては、高い知能を持つに至った種が存在していた。サグネブは、知性を持つ生物が棲息している惑星のそれぞれについて、知性を持つ生物の一個体を預言者として選び、「我はこの宇宙の創造者であり、知性を持つすべての生物は我に帰依しなければならぬ」という啓示をその個体に授けた。それぞれの預言者は惑星の表面を移動しつつ、自身に授けられた啓示を知性を持つ生物たちに語った。彼らは預言者の言葉を信じ、サグネブに対する礼拝を日常的な習慣とするようになった。

サグネブがモニカナと名付けた惑星も、知性を持つ生物が棲息する惑星の一つだった。その惑星に棲息する知性を持つ生物たちは、自分たちの種を「人間」と呼んでいた。サグネブは、知性を持つ生物が棲息する他の惑星と同様に、モニカナについても、一人の人間を預言者として選び、彼に啓示を授けた。その預言者は、ゾゴルという名前だった。

ゾゴルは、「驢馬」と呼ばれる動物の背に乗ってモニカナの表面を移動しつつ、サグネブから授けられた啓示を各地で人々に語った。人々は彼の周囲に群がり、彼の言葉に耳を傾けた。しかし、彼が語る啓示を信じ、サグネブに対する礼拝を始める者は極めて少数だった。

ゾゴルが語る啓示がモニカナの大多数の人々から拒絶された理由は、彼らがすでに帰依の対象を持っていたからである。彼らは、自分たちが帰依する対象を「仏像」と呼んでいた。それは、「仏師」と呼ばれる者たちが様々な素材を使って制作した、人間の形を持つ彫像や塑造や鋳像である。

ゾゴルはサグネブに対して、「仏像に帰依する者たちの大多数はあなたからの啓示を信じようとしません」と訴えた。創造者は預言者に対して次のように答えた。「ムニタ帝国の帝都へ行き、皇帝ベネセス八世に謁見し、彼に啓示を伝えるがよい。もしも彼がそれを信じようとしないならば、我は、帝都に住むすべての初子を殺害するであろう」

驢馬に乗ってムニタ帝国に入国したゾゴルは、皇帝ベネセス八世に謁見し、サグネブから授けられた啓示を彼に語った。それを聞いた皇帝は、仏像ではないものを崇拝せよと語る不届き者を投獄せよと廷臣たちに命じた。獄に繋がれたゾゴルは、皇帝が啓示を信じなければ、次の満月の夜に帝都に住むすべての初子が死ぬことになるであろうと獄吏に告げた。ゾゴルの予言は皇帝の耳にも届いたが、皇帝は意に介さなかった。

帝都の住民のうちでサグネブに帰依する者たちは、家族とともに帝都から脱出し、郊外の町や村に新たな住居を構えた。彼らは、仏像に帰依する知人たちにも帝都からの脱出を呼びかけたが、その呼びかけに耳を傾ける者はほとんどいなかった。

満月の夜、ゾゴルが予言したとおり、帝都に住むすべての初子に死が訪れた。死はムニタ帝国の皇太子にも平等に訪れた。ゾゴルは、この災厄は始まりに過ぎないと獄吏に告げた。ベネセス八世はゾゴルを御前に召し、「災厄を終わらせるためには何をすればよいのか」と尋ねた。預言者は、「陛下が啓示を信じ、サグネブに帰依すればよいのです」と答えた。

ベネセス八世は啓示を信じ、サグネブに帰依することを宣誓した。さらに皇帝は、仏像の制作と所有を禁止する勅令、およびサグネブに対する礼拝を臣民に義務付ける勅令を発布した。そして、臣民たちがサグネブに対する礼拝をするための礼拝堂を帝国の各地に建設せよと廷臣たちに命じた。

ムニタ帝国では、サグネブに対する礼拝がすべての臣民の義務となり、それを拒む者は臣民としての権利を剥奪され、奴隷として過酷な苦役への従事を強制された。帝国の治安部隊は帝国の版図をくまなく捜索し、仏像をことごとく没収し、それらを焼却、粉砕、または融解した。皇帝は、本年を廃仏暦という新たな暦法の元年とする、と布告した。

ムニタ帝国は強大な軍隊を保有していた。歴代の皇帝は、自ら軍隊を率い、帝国の領土を拡大させるための外征を繰り返した。帝国軍は、新たに征服した国にある仏像をことごとく破却した。そして、新たに臣民となった人々に対してサグネブへの帰依を強制し、それに従わない者たちを奴隷として内地へ連行した。廃仏暦四世紀初頭には、モニカナに存在するすべての国が帝国によって征服されるに至った。

奴隷と奴隷との間に生まれた子供たちは、成年に達した日に、サグネブに帰依するか否かを官吏から問われた。その質問に対して、帰依すると答えた者には臣民としての権利が与えられ、否と答えた者には奴隷であることを示す烙印が押された。成年に達した奴隷の子供たちの大多数は、サグネブに帰依することではなく、奴隷という境遇を受け入れることを選択した。

仏像に帰依する者は奴隷として過酷な苦役に従事しなければならないという定めは、仏師たちをその例外とはしなかった。仏師たちは、与えられたわずかな自由時間を、自身の技術をさらに向上させること、そしてその技術を弟子たちに伝授することに費やした。仏像に帰依する人々は、仏像を載せる台座の制作を仏師たちに依頼した。仏像の制作と所有は勅令によって禁止されていたが、台座の制作と所有を禁止する勅令は存在しなかったのである。台座は寺院の本堂に安置され、人々はその前に座し、その上に載るべき仏像を心の中に描きつつ、自身や身近な人々の幸福を祈願した。

マトヨリカという少女が仏師たちの弟子となったのは、廃仏暦六八三年のことだった。仏師たちは、彼女が示す天賦の才に目を見張った。彼女が仏師たちから免許皆伝の免状を授与されたのは、彼女が二十三歳の時だった。

マトヨリカが仏師としての活動を始めて数年も経たないうちに、彼女が制作した台座が安置された寺院は、霊験あらたかな台座があるという評判を聞き付けた奴隷たちによって大いに賑わうようになった。奴隷たちの間で評判になっている寺院があるという噂は、臣民としての権利を持つ者たちの間でも話題となった。彼女が制作した台座が安置された寺院に参詣する者たちの中には、奴隷たちのみならず、奴隷に身をやつした臣民たちも少なからず混じっていた。

時の皇帝ゼルメス二世は、台座が安置された寺院に奴隷のみならず臣民までもが参詣しているという事態を憂慮した。彼は、マトヨリカが制作したすべての台座を破却し、彼女をコデリタへ島流しにせよと廷臣たちに命じた。

コデリタは、最も近い陸地から七百里を隔てた位置にある孤島であり、その全域が監獄として使用されていた。島には一人の看守も常駐しておらず、島を統治しているのは、囚人たちが自分たちの中から選出した議員によって構成される議会だった。議会は、定期的に島に届けられる物資を管理する権限と、島の秩序を維持するための法律を制定する権限を有していた。

マトヨリカがコデリタに収監されたとき、議会の議長を務めていたのはトビクベスという囚人だった。彼は、島にある様々な施設に彼女を案内し、それぞれの施設の責任者を彼女に紹介した。島には寺院もあり、その本堂には幾多の仏像が安置されていた。

「仏像の制作と所有は禁止されていないのですか」とマトヨリカはトビクベスに尋ねた。議長は、「この島の法律は仏像の制作も所有も禁止していません」と答えた。

マトヨリカは仏像の細部に目を凝らした。そして彼女は、これらの仏像は、技術的には稚拙であるものの、極めて徳の高い人物によって制作されたものであり、人々の願いを叶える力を宿していると判定した。「これらの仏像は誰が制作したのですか」と彼女は寺院の住職に尋ねた。住職は、「デムタギクという囚人です」と答えた。

住職は、集落の背後に広がる密林の中に建てられたデムタギクの工房にマトヨリカを案内した。彼女は挨拶もそこそこに、「私を弟子にしてください」とデムタギクに懇願した。彼は、彼女の弟子入りは拒んだが、彼女が自分の工房で仏像を制作するための便宜を図ることを彼女に約束した。

仏暦七一四年、ゼルメス二世は崩御し、皇太子のドネキブ四世が皇帝に即位した。新しい皇帝は、皇太子だった時代から、サグネブに対する崇拝の念が篤いことで知られていた。彼が皇帝に即位して最初に下した勅命は、帝都の郊外にあるサミナモレタという地に、これまでに建設されたいかなる礼拝堂よりも巨大な礼拝堂を建設せよというものだった。廷臣たちは高名な建築家たちを帝国の各地から呼び集め、彼らに礼拝堂を設計させた。宮殿の広間には、彼らが引いた図面に基づいて作られた模型が並べられた。皇帝はその中の一つを選択し、それを設計した建築家に破格の報酬を授けた。

サミナモレタの礼拝堂は史上空前の規模を持つ建築物であり、それを建設するために必要となる労働力もまた史上空前の規模だった。廷臣たちは帝国の各地から多数の奴隷を徴用した。徴用された奴隷たちには、石材を山から切り出し、それらを運搬し、そしてそれらを加工して組み合わせるという重労働が課せられた。彼らに与えられる休息はあまりにも少なく、過労のために死に至る者が続出した。廷臣たちは遺体を家族のもとに送り返すとともに、死亡した者と同数の奴隷を新たに徴用した。

マトヨリカは、コデリタに収監されたばかりの囚人から、巨大な礼拝堂を建設するために奴隷たちがあたかも消耗品のごとく使い捨てにされているという話を聞いた。彼女は、徴用された親族の無事を願う者たちのために、自分が制作した仏像を彼らの寺院に安置してもらいたいと思った。しかし、七百里の波濤を越えて仏像を彼らの寺院に送り届ける手段を彼女は持たなかった。

デムタギクは一基の台座を制作し、それをマトヨリカに授けた。彼女は自身が制作した仏像をその台座に載せた。すると、台座は仏像を載せたまま空中に浮上し、海の彼方に向って飛び去った。台座がデムタギクの工房に戻って来たのはその翌日のことだった。台座の上に仏像は載っていなかった。「仏像は同胞たちの寺院に届いているから安心せよ」とデムタギクはマトヨリカに言った。

マトヨリカは新しい仏像を次々と制作し、それらを台座に載せて同胞たちの寺院に送り届けた。各地の寺院の住職は、飛行する台座によって運ばれて来た仏像を官憲の目から隠すために、それを厨子の中に納めた。

仏像に帰依する者たちは、仏像が納められた厨子の前に座し、自身や身近な人々の幸福を祈願した。礼拝堂を建設するために徴用された親族を持つ者たちも、姿を見ることのできない仏像を心に描きつつ親族の無事を祈願した。

飛行する台座によって運ばれて来た仏像は、礼拝堂を建設するために徴用された奴隷たちの生命を守ることに自身の法力を集中させた。その結果、遺体となって戻って来る者たちの数は目に見えて減少した。また、戻って来た遺体も次々と息を吹き返した。

霊験あらたかな仏像が奴隷たちの寺院の厨子に隠されているという噂は、臣民としての権利を持つ人々の間にも広がった。廷臣たちは奴隷たちの寺院から厨子を押収し、その中に納められた仏像を破却した。しかし、廷臣たちによって仏像を破却された寺院には、それを見計らったかのごとく新たな仏像が送られて来た。

廷臣たちは奴隷たちの寺院に仏像が送られて来る経路を調査した。その結果、それらの仏像は空中を飛行する台座によってコデリタから運ばれて来るということが判明した。廷臣たちはコデリタへの遠島という処分を受けた罪人たちの記録を調べ、マトヨリカという腕の立つ仏師がその島に流されたという記載を発見した。

マトヨリカを討伐するために派遣された部隊が島に上陸したという報せを聞いたデムタギクとマトヨリカは、各種の工具を携えて台座に乗った。二人を乗せた台座は空中に舞い上がり、水平線の彼方へ飛び去った。

仏像の破却と新たな仏像の配給という鼬ごっこは、デムタギクとマトヨリカがコデリタから去ったのちも繰り返された。廷臣たちは台座が離昇する地点が判明するたびにその地点を急襲したが、彼らがそこで見出すものは蛻の殻となった工房のみだった。

マトヨリカが制作した仏像が奴隷たちの寺院に送られて来るようになって以来、奴隷に身をやつして奴隷たちの寺院に参詣する臣民たちは増加する一方だった。事態を憂慮したサグネブは、テピルモスという臣民を預言者として選び、彼に預言を授けた。それは次のような預言だった。

「次の満月の夜、仏像が安置されているすべての寺院には硫黄の火が降り注ぐであろう。業火に焼かれて死にたいと思わない者は、その夜は決して寺院に参詣してはならない」

満月の夜、奴隷に身をやつして奴隷たちの寺院に参詣する臣民は一人もいなかった。しかし、奴隷たちはいつもどおり寺院に参詣し、自身や身近な人々の幸福を祈願した。

サグネブは、仏像が安置されているすべての寺院の上空から硫黄の火を雨のごとく降らせた。しかし、それらの寺院のいずれも、業火に包まれることはなかった。なぜなら、仏像の法力が、燃え盛る硫黄をことごとく甘露に変化させたからである。祈願を終えて本堂から出た奴隷たちは、空から降ってくるものが甘露であることに気付くと、それを両手に受けて喉を潤した。

仏像の法力が硫黄の火を甘露に変えたという風聞は、またたくうちに帝国の隅々にまで浸透した。奴隷に身をやつして奴隷たちの寺院に参詣する臣民の増加は、留まるところを知らなかった。

ドネキブ四世は、奴隷たちのすべての寺院を閉鎖せよという勅書に署名した。しかし、勅命を奉じて各地の寺院に向った廷臣たちは、群衆の壁に阻まれ、寺院に接近することができなかった。寺院を取り囲む群衆は、その半数が奴隷であり、半数が臣民だった。

事態の報告を受けたドネキブ四世は、寺院の周囲に居座る群衆を排除せよと治安部隊の隊長であるスミナバスに命じた。しかし隊長は、「排除されるべきは皇帝である」と隊員たちに檄を飛ばした。

決起した治安部隊に民衆も呼応した。皇帝の居城を包囲した民衆は、皇帝は退位せよと口々に叫んだ。治安部隊は城門を破壊し、皇帝を捕えるために城内を捜索した。

ドネキブ四世は城内の礼拝堂でサグネブに祈りを捧げていた。スミナバスは、皇帝をコデリタへ島流しにせよと隊員たちに命じた。皇帝は船に乗せられ、監獄の島に運ばれた。議会の議長は、島にある様々な施設に皇帝を案内した。そののち議長は、一軒の空き家に皇帝を連れて行き、「ここが陛下の終の住処となるでありましょう」と言った。そこは、かつてデムタギクとマトヨリカが仏像を制作していた工房だった。

スミナバスはすべての奴隷を解放した。そして君主制から共和制への移行を宣言し、国民議会の議員を選出する選挙を実施した。国民議会は、仏像の制作と所有を禁止する勅令とサグネブに対する礼拝を義務付ける勅令の廃止を全会一致で決議した。

ドネキブ四世の勅命によって建設が進められていたサミナモレタの礼拝堂は、奴隷の解放に伴って工事が中断したまま放置され、巨大な廃墟となった。廃仏暦七三四年、デムタギクとマトヨリカはその地に草庵を結んだ。二人の仏師は、礼拝堂を構成する石材を素材として大小様々な仏像を制作した。

三十年後、デムタギクとマトヨリカは草庵を引き払い、何処ともなく旅立っていった。そのときにはすでに、未完成のまま廃墟となっていた礼拝堂は、無数の仏像から構成される石造建造物として命を吹き込まれていた。その建造物は、いつしか「サミナモレタの仏塔」と呼ばれるようになり、共和国の津々浦々から訪れる巡礼者で大いに賑わうようになった。