[第五十話]探査機

ミサクバという惑星の天文学者たちは、憲章暦二一三八年、七光年の距離にある恒星系に対する観測の結果、その恒星系の第四惑星がミサクバに極めて類似しているということを発見した。彼らはその惑星にトルケソナという名前を与えた。「トルケソナ」は、古代の叙事詩に描かれている理想郷の名前である。

科学者たちや技術者たちは、国家や財閥からの莫大な資金援助を得て、トルケソナへ探検隊を派遣する計画を始動させた。彼らは、探検隊をトルケソナへ運び、そののちミサクバへ帰還させるために、巨大な宇宙船を建造しなければならなかった。その宇宙船の設計を託された技術者たちは、神話に登場する海神の娘にちなみ、その宇宙船をネムセリタ号と命名した。

ネムセリタ号は光速の五十分の一の速度で宇宙を航行する。したがって、それがトルケソナに到着するのは出発から三百五十年後のことである。人間の寿命は長くとも百歳前後であるから、出発した時点での探検隊員は、目的地に到着する前に寿命を迎えることになる。トルケソナの大地を踏むことになるのは、彼らの子孫たちである。

ネムセリタ号の設計者たちは、宇宙船の内部の文明が任務の途上で崩壊する可能性を考慮に入れる必要があった。彼らが最も恐れたことは、自分たちの使命を忘れた探検隊員たちが宇宙船の針路を変更したり推進機関を破壊したりするという事態だった。そのような事態を避けるため、設計者たちは、宇宙船を居住部と機関部に分離し、探検隊員たちは推進機関を操作することも機関部へ侵入することもできないようにする、という設計方針を立てた。

ネムセリタ号の機関部には、極めて性能の高い人工頭脳が搭載されることになった。その人工頭脳に与えられる使命は、トルケソナ探検計画に沿って宇宙船を操舵すること、および居住部に対して熱と光と酸素と水を供給し続けることだった。さらに、目的地に到着する前に探検隊員たちの文明が崩壊した場合に、彼らの代理として、無人探査機を派遣して惑星を探査することもまた、人工頭脳に与えられる使命の一つだった。

ミサクバに帰還するまでの七百年余りの期間に探検隊員たちが消費する食糧は莫大な量となる。しかし、すべての食糧を積み込むことができる空間をネムセリタ号の内部に作ることは不可能だった。したがって、探検隊員たちは自分たちが消費する食糧を自給しなければならなかった。宇宙船の設計者たちは、その居住部に大量の土を運び込むことによって、畑や果樹園や牧草地をそこに作ろうと考えた。

ミサクバの衛星軌道で進められたネムセリタ号の建造は憲章暦二一五九年に竣工した。盛大な進宙式が挙行され、探検隊員の搭乗と家畜の搬入が開始された。二千三百二十八名の探検隊員の全員が搭乗を完了したのは、その翌年だった。機関部に搭載された人工頭脳は、発進のための準備が完了したことを確認し、推進機関を始動させた。宇宙船はトルケソナを目指す長い旅を開始した。

目的地に到着するまでの期間に探検隊員たちが遂行しなければならない任務は、耕作や牧畜によって食糧を自給することのみではない。宇宙船の中で生まれた子供たちを次の世代の探検隊員にするために、適切な教育を彼らに施すこともまた、探検隊員たちに与えられた重要な任務の一つだった。探検隊は、科学技術のあらゆる分野にわたる高度な専門家から構成されていなければならない。この要件を満足させるために、子供たちは、十四歳になった段階で、本人の希望と適性に基づいてそれ以降の専攻を決定し、特定の分野の専門家となることを要請された。

探検隊員たちは、ミサクバに向けて送信されている電波に乗せて、宇宙船の中で発生した様々な出来事をトルケソナ探検計画の管制室に報告し続けた。管制室も、ミサクバで刊行された新聞や雑誌や書籍の内容を乗せた電波をネムセリタ号に向けて送信し続けた。電波が届くまでに要する時間は、出発の当初は一瞬だったが、宇宙船が遠ざかるにつれて長くなり、出発の五十年後には一年を要するに至った。

憲章暦二五一〇年、ネムセリタ号はトルケソナの周囲をめぐる衛星軌道に乗った。機関部の人工頭脳は、探検隊は依然として任務の遂行が可能な状態を保っていると判断し、彼らを地表に送り届けるための着陸船を居住部に接舷させた。

探検隊員たちは、トルケソナの地表の上を移動しつつ、各地の気候や地質や生物などについて調査した。それによって得られた知見は細大漏らさずミサクバに報告された。それらの報告を乗せた電波は七年後にミサクバに届き、様々な分野の専門家たちによる分析の対象となった。

憲章暦二五一三年、トルケソナの探検を終えた探検隊員たちは、機関部の人工頭脳が操船する着陸船に搭乗し、ネムセリタ号に帰還した。宇宙船はトルケソナの衛星軌道から離脱し、ミサクバに針路を向けて光速の五十分の一まで加速した。

憲章暦二六五九年のある日、ミサクバの辺境に設置された研究施設から、遺伝子の操作によって兵器としての機能を強化された、戦闘獣と呼ばれる動物のうちの数頭が脱走した。この時点では、脱走した動物の捕獲は時間の問題であると関係者の誰もが考えていた。しかし、事態の深刻さは人々の推測を大きく上回っていた。動物たちは生殖によって個体数を増やし、人間たちを制圧するために人工密集地域に侵入した。

この事件に関する報道は、四年の遅延を伴ってネムセリタ号にも届いた。トルケソナ探検計画の管制室から電波に乗せてネムセリタ号に送られてくる新聞や雑誌は、日を追うごとに戦闘獣によって人類が追い詰められていく経過を克明に伝えていた。

管制室の職員はネムセリタ号の探検隊員たちに対して次のような通信文を送った。

「君たちがミサクバに帰還したとき、そこは戦闘獣に支配された惑星となっているであろう。君たちはそこに戻るまでに、戦闘獣についての研究を進め、十分な対策を立てておかなければならない。また、ネムセリタ号の機関部に搭載された人工頭脳を君たちの支配下に置くことも必要である。なぜなら、人工頭脳は、船をミサクバの衛星軌道に乗せようとするだろうが、衛星軌道といえども、戦闘獣の脅威から安全であるとは言い難いからである」

管制室は、新聞や雑誌に加えて、脱走した動物を開発した研究者たちが執筆した論文もネムセリタ号に送信した。新聞や雑誌が発行されなくなったのちも、管制室の職員たちは可能な限りの情報収集に努め、その成果を探検隊員たちに提供した。しかし、それも長くは続かなかった。電力の供給が停止し、自家発電の燃料も底を突いたため、通信設備が機能を停止したのである。

戦闘獣たちは、自身の本能が命ずるままに人間たちを制圧したが、人類を絶滅させることは彼らの目的ではなかった。戦闘獣と人間との戦闘ののちに生き残った人間たちは、大陸の中央の広大な地域を壁で取り囲むことによって作られた捕虜収容施設に収容された。捕虜たちはその施設の中に畑や果樹園を作り、自給自足で命脈をつないだ。

ネムセリタ号の探検隊員たちは、ミサクバに帰還するまでの二百年足らずの期間のうちに、戦闘獣を駆逐することのできる技術的な手段を開発する必要に迫られた。彼らはミサクバを戦闘獣から奪回する手段について研究する施設を設立し、様々な分野の研究室から引き抜いた優秀な研究員をその施設の研究員とした。探検隊員たちはさらに、その施設とは異なる目的を持つもう一つの研究施設を設立した。その施設の目的は、ネムセリタ号を操舵する権限を人工頭脳から奪取するための手段について研究することだった。

ネムセリタ号の操舵はその機関部に搭載された人工頭脳に完全に委任されており、トルケソナ探検計画の管制室にも、探検隊員たちにも、船を操舵する権限は与えられていなかった。戦闘獣の脅威が及ばない、ミサクバから十分に離れた位置に船を留めておくためには、探検隊員が操舵の権限を人工頭脳から奪取することが必要だった。

ネムセリタ号の設計者たちは、居住部から機関部に至る長い通路の入口に堅固な扉を設置した。その扉は、文明を喪失し、自分たちの使命を忘れた探検隊員たちから機関部を保護することを目的としていた。探険隊員たちが人工頭脳から操舵の権限を奪取するためには、探検隊員が機関部に到達することが必要であり、そのためには機関部への侵入を拒絶している扉を開くことが必要だった。

扉を破壊することは危険すぎる行為だった。なぜなら、もしも扉を破壊しようと試みたならば、人工頭脳は探検隊員が文明を喪失したと判断し、機関部を保護するために暴力的な手段に訴えることが予想されるからである。扉を開くためには、そうする必要があると人工頭脳自身が判断するような状況を作り出さなければならなかった。

人工頭脳は無数の観測機器によって居住部の状態を常に監視していた。人工頭脳対策施設の研究員たちは、それらの観測機器から人工頭脳へ向かう信号の伝達に介入し、居住部が人間にとって居住不能になったと判断されるように信号を改竄すれば、人工頭脳は探検隊員たちを一時的に機関部に退避させるために通路の扉を開くに違いないと考えた。

数十年にわたって周到な準備を重ねた人工頭脳対策施設の研究員たちは、憲章暦二七一八年、観測機器の信号を改竄する計画を実行に移した。人工頭脳は探検隊員たちを退避させるために機関部に至る通路の扉を開いた。研究員たちは機関部の中枢に潜入し、操舵装置と人工頭脳との間の接続を切断した。

人工頭脳対策の研究施設が収めた華々しい成功とは対照的に、戦闘獣対策の研究施設は、ほとんど成果を出すことなく労力と時間を虚しく費やし続けていた。ネムセリタ号は憲章暦二八六三年にミサクバと同じ恒星系にあるテモガタという惑星の衛星軌道に乗ったが、その時点に至ってもなお、無敵の兵器として開発された戦闘獣の前で、探検隊員たちは無力に等しかった。探検隊員たちは方針を転換し、ミサクバを戦闘獣から奪回するための研究よりも、トルケソナを人類の新天地とするための研究に、より多くの人的資源を割くことを決定した。そして彼らはこの決定に基づいて三つの新たな研究施設を設立した。

第一の研究施設は、人間の形質を改造するための手段について研究することを目的とするものだった。トルケソナは、天体としてはミサクバに極めて類似しているが、その環境は人間の生活に適しているとは言い難いものだった。したがって、その惑星を人類の新天地とするためには、その環境に適応したものに人間の形質を改造することが必要だった。

第二の研究施設は、燃料を確保するための手段について研究することを目的とするものだった。ミサクバを出発する時点でネムセリタ号に積み込まれた燃料は、ミサクバとトルケソナの間を一往復するために必要となる最低限の量だった。トルケソナを人類の新天地とするためには、ネムセリタ号を再びトルケソナまで移動させるための燃料を確保することが必要だった。

第三の研究施設は、現在の推進機関とは異なる原理に基づく推進機関の開発を目的とするものだった。この研究施設は探検隊員の子供たちの間で最も人気の高い配属先となった。その結果、この研究施設は、激しい競争を勝ち抜いた優秀な研究員が集まる場所となり、推進機関についての研究は日進月歩で前進した。

憲章暦二九四三年、推進機関の研究施設で働く研究員たちは、光速を超える速度での物体の移動に関する理論を確立し、その理論を応用した推進機関の開発に着手した。推進機関の試作機は二十年後に完成し、実験のために無人探査機の一機に据え付けられた。研究員たちは、その探査機は光速の五千倍の速度で航行することができるだろうと計算した。トルケソナに向かって出発した探査機は、二日後に帰還した。探査機が撮影した画像は、四百五十年前に探検隊員たちがトルケソナに残してきた各種の観測機器を鮮明に捉えていた。この実験は、物体の超光速移動に関する理論の正しさを証明したが、解決しなければならない技術的な問題点も少なからず明らかにした。

推進機関の研究施設は、最初の実験で明らかとなった推進機関の技術的な問題点を解決するため、無人探査機による実験を何度も繰り返した。それらの実験は、問題点を一つ一つ解決するとともに、移動速度のさらなる向上という副産物も産んだ。すべての技術的な問題点が解決したのち、研究員たちは、ネムセリタ号を超光速で航行させるための推進機関の製造に着手した。その頃には、燃料を確保するための研究施設も、ネムセリタ号がその衛星軌道を公転している惑星であるテモガタから燃料を調達することを可能にする技術を確立していた。

憲章暦二九八八年のある日、ネムセリタ号は超光速推進機関を始動させ、十二時間後にトルケソナの衛星軌道に乗った。探検隊員たちは、自らが開発した新たな人工頭脳に宇宙船の管理を託し、人類の新天地を築くためにトルケソナの地表に降り立った。

探検隊員たちは、超光速推進機関を搭載した無人探査機を定期的にミサクバへ派遣した。それらの探査機はミサクバの地表を撮影したのちにトルケソナに帰還した。ただし、すべての探査機が無事に帰還したわけではない。第六次、第九次、第十四次の派遣では、探査機はトルケソナに帰還しなかった。おそらく戦闘獣によって撃墜されたのであろうと探検隊員たちは推測した。

第八次の派遣から帰還した探査機は探検隊員たちに朗報をもたらした。その探査機が撮影した画像の中に、生きている人間たちの姿があったのである。その後の探査によって、探検隊員たちは、生き残った人間たちが、延々と続く壁に囲まれた広大な捕虜収容施設の中で戦闘獣たちに監視されながら自給自足で命脈をつないでいるということを知った。

ミサクバを戦闘獣から奪回するための研究施設は、研究員たちがトルケソナに移住したのちも活動を継続していた。彼らの研究は、ミサクバに派遣された無人探査機が戦闘獣の死体の採取に成功したことによって大きく前進した。彼らはその死体の細胞を培養することによって戦闘獣を復元し、それに対して様々な実験を繰り返した。

憲章暦三〇一二年、戦闘獣対策の研究施設は戦闘獣の生殖機能を喪失させる病原体の開発に成功した。その病原体は大量に培養され、無人探査機によってミサクバの全域に撒布された。戦闘獣は一頭残らず病原体に感染し、生殖機能を喪失した。定期的にミサクバに派遣される無人探査機が撮影した画像に写り込む戦闘獣の数は、派遣の度に減少の一途をたどった。三〇八六年に派遣された無人探査機が撮影した画像のうちで、生きた戦闘獣が写り込んだものは一枚もなかった。三〇九〇年、ミサクバを戦闘獣から奪回するための研究施設は廃止され、研究員たちは他の研究施設に移籍した。

捕虜収容施設を囲む壁の各所には、そこに収容されている捕虜たちを監視するための塔が設置されていた。捕虜たちは、昼夜を問わず、それらの塔の頂上に立つ戦闘獣の姿を見ることができた。しかし、ミサクバの人間たちが捕虜収容施設に収容されてから四百年が過ぎたころから、塔の頂上に戦闘獣の姿を見ることのできる日は毎日ではなくなった。戦闘獣が姿を見せる日は二日おきとなり、三日おきとなり、やがて、まったく姿を見せない日が何十日も続くようになった。捕虜たちは壁の外へ斥候を出すことを決意し、志願者を募った。多数の捕虜がそれを志願した。

古老たちが語る言い伝えによれば、収容施設の東の壁から三十里ほど離れた地には、キバナクマという名前の都市があるとされている。斥候たちに与えられた使命は、その都市に潜入し、戦闘獣たちの動向を偵察することだった。斥候たちは壁を越え、東を目指した。

斥候たちは、一頭の戦闘獣にも遭遇することなく、廃墟となったキバナクマに到達した。彼らはその都市の内部で無数の戦闘獣に遭遇したが、それらの動物はことごとく白骨化した死骸となっていた。彼らは捕虜収容施設に戻り、偵察の成果を捕虜たちに報告した。

捕虜たちはその後も何度か壁の外へ斥候を送り、人間たちがかつて建設したいくつかの都市の廃墟を偵察させた。一回目の偵察と同様に、斥候たちは生きた戦闘獣とはまったく遭遇しなかった。戦闘獣は完全に絶滅したという確信を得た捕虜たちは、捕虜収容施設の壁を越え、文明を再建するための活動を開始した。戦闘獣によって破壊される以前の水準にまで彼らの文明が再建されたのは、憲章暦三一二〇年代のことだった。

憲章暦三一三一年、特異な形状を持つ人工的な物体がミサクバの海底で発見された。その物体は海底から引き揚げられ、科学者たちによる分析に委ねられた。分析の結果、その物体は、未知の原理による推進機関を搭載した無人探査機であることが判明した。また、機体や部品などに記された文字から、その探査機を建造した者たちが自分たちと同じ種族の人間であることも判明した。

憲章暦三一五九年、ミサクバの科学者たちは、海底で発見された宇宙船の推進機関に使われている原理を解明し、その原理に基づく推進機関を製造することに成功した。翌年、その推進機関を搭載した無人探査機が建造され、ミサクバの大地から旅立った。探査機の目的地として選ばれたのは、千年前に探検隊が派遣されたという記録が残る、トルケソナという惑星だった。